C言語およびUNIXの開発者の1人として知られるコンピュータ科学者のデニス・リッチー氏が亡くなった。享年70歳だった。同氏が2007年の引退後もコンサルティングをしていたベル研究所のジェオン・キム所長が公式ブログで明らかにした。 同氏の元同僚で現在Googleに務めるロブ・パイク氏のGoogle+への投稿によると、リッチー氏は先週末、長い闘病の末、ニュージャージー州の自宅で亡くなったという。 リッチー氏は1967年にベル研究所に入り、そこで開発したプログラミング言語のコンパイラをケン・トンプソン氏とともに発展させてC言語とした。また、同研究所で開発されたUNIXのC言語への書き換えを統括したことで、UNIXの父とも呼ばれる。リッチー氏とブライアン・カーニハン氏が1978年に出版した解説書「プログラミング言語C」は、現在も世界中で読み継がれている。リッチー氏は1983年にトンプソン氏とともに
ベル研究所 (Bell Labs) は10月13日、同社公式Webページでデニス・リッチー (Dennis Ritchie) 氏が亡くなったと発表した。享年70。 訃報は意外なところから飛び込んできた。同氏の元同僚で、現在Googleに勤務するロブ・パイク (Rob Pike) 氏が、Google+ に「Dennis Ritchie 博士が長い闘病の末、自宅で亡くなった」と書き込んだことだ。 その後、Bell Labsの所長 ジェオン・キム氏 (Jeong Kim) からのメッセージが、同社Webページに掲載された。 「デニス・リッチーが70歳で死去したとお知らせするのは深い悲嘆です」 リッチー氏は1941年9月9日に生まれ、その後ハーバード大学にて物理学を学び、大学院では応用数学を専攻した。1967年に、同氏の父が勤務するベル研究所コンピュータシステムリサーチ部門に入所。その後、1968
「K&R」の愛称で知られる教科書『プログラミング言語C』の翻訳などを通して、日本におけるUNIXオペレーティングシステムおよびC言語の普及に大きく寄与し、インターネットの礎に多大な貢献のあった東京大学名誉教授の石田晴久氏が3月9日、心筋梗塞のため東京都内の病院で死去した。 「K&R」の愛称で知られる教科書『プログラミング言語C』の翻訳などを通して、日本におけるUNIXオペレーティングシステムおよびC言語の普及に大きく寄与し、インターネットの礎に多大な貢献のあった東京大学名誉教授の石田晴久氏が3月9日、心筋梗塞のため東京都内の病院で死去した。 72歳だった。通夜、葬儀・告別式は近親者のみで行う。 石田氏は東京大学大学院卒業後、マサチューセッツ工科大学研究員などを経て、1970年に東京大学大型計算機センターの助教授に就任(82年に同教授)。同センター在任中に、C言語の原典とも言える『プログラミ
石田先生は教育にも大変熱心でいらっしゃいました。 このページ [hp.com]の左上の写真で、アラン・ケイ博士の後ろに写っているのが石田先生です。 これは日本HPのSqueakによる社会貢献活動を紹介した2004年のニュースリリースで、石田先生は会場に来賓としていらしていました(私はスタッフ)。当時は多摩美術大学のメディアセンター長を務められていましたが、Squeakを使った子供の教育に多大な関心を寄せられ、アランさんとも熱心に情報交換されていたのを覚えています。その後、情報デザイン学科の須永先生と共にSqueak Labの設立に尽力され、私も研究員として呼んでいただきました。Squeak Labではアートとコンピューティングを組み合わせた子供のためのワークショップを開催し、大きな成功を収めています。 サイバー大学設立の折には、打ち合わせ場所として使っておられた新宿中村屋に私を呼び出され、
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