よく知られているように、日本「固有」の民族宗教であるとされる神道が組織されはじめたのは、6世紀に仏教が伝来してからのことである。中世においては、神仏習合思想や本地垂迹理論によって仏教との過剰な融合に向かい、近世においては、仏教的要素の極端な排除に向かった。もともと統一的な体系や自律性を持たず、バラバラに存在していたに過ぎなかった土俗信仰は、外からやってきた仏教に対する強い憧れと劣等感を背景として再編されていった。つまり神道は、日本固有の民族宗教であると言うより、「固有のもの」への信仰であると言ったほうが正しい。 「固有のもの」への信仰は、宗教だけでなく、あらゆるところに現れる。美術史家の高階秀爾は、フランスで西洋美術史を学んだ後、帰国した際に見た高橋由一の《花魁》に「西欧の油絵という技法の奥にある感受性とは明らかに異質の感受性」を見出し、「ほとんど驚愕に近い新鮮な衝撃」を覚えた、と語ってい
竣工した後に見た「門脇邸」は、驚くほど周囲に馴染みながら建っていた。 空間をめぐると、柱と梁がクロスする吹き抜けや、天井と壁の隙間から自然光が入るリビングなど、非常にドラマチックな体験が散りばめられており、100㎡程とは思えないほど、濃密な空間体験であった。部分による全体性は可能かという仮説により生み出された空間は、まさに一つ一つの、部分としてのエレメントが複雑に混ざり合いながらそのままに放り出されている。部分部分で思考が分断されながらもそれぞれのシーンの記憶はあるところで繋がったり、あるところで分からなくなったりする。エレメントが次から次に目に飛び込んでくるのに、もはやそれらさまざまな存在が「消える」という感覚を覚えた。 エレメントはバラバラと振舞っていながら、それらを一つの建築としているものは何だったのか。ふと映画等で用いられるグランドホテル形式(群像劇)を思い浮かべた。この手法によっ
建築家は、社会に変化をもたらす原動力となれるのか? 「I’M DOOMED TO LIVE WITH CRISIS(私の人生は、危機的状況と常に運命付けられてきました)」。この言葉は、重松のレクチャーの冒頭でよく使われる示唆に富んだジョークだ。あっけらかんと語られるものだから、大抵の聴衆は深く考えずに、笑って聞き流してしまう。しかし、レクチャーが進むにつれて、このジョークこそが彼の思考や行動を本質的に表してることに驚かされるのだ。 建築家の重松象平は、レム・コールハースによって設立された建築設計事務所OMAのパートナーであり、ニューヨーク事務所の代表を勤める、いわば“世界的な建築家”である。しかし、その歩みは決して順風満帆ではなかった。1973年(第一次オイルショック)生まれ、1992年(バブル崩壊)大学入学、そして2008年(リーマン・ショック)OMAパートナー就任……。文字通り、不況と
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