2017年9月10日のブックマーク (2件)

  • 銅とともに生きた足尾

    銅山の発見 足尾の歴史(特に近代史)は、銅山、及び「古河」を抜きにしては語ることはできない。一般に、足尾の銅山は慶長15年(西暦1610年)に発見されたと伝えられているが、これ以前から、足尾銅山があったという文書も見つかっている。 にもかかわらず、銅山の発見を慶長15年としたのは、これを吉兆として江戸幕府の権威を天下に誇示しようとしたのであって、足尾の人々に事実を語ることを禁じたことが、かえって事実を示していると思われる。 銅山の発見当時は幕府が直営で開発を進めたが、産銅量が少なく採算が取れない一時期(西暦1626年から)は日光東照宮の支配下に置かれ、東照宮では商人に銅を売り渡していた。 正保4年(西暦1647年)再び幕府直営となり、銅の生産も活発化した。また、足尾銅山の銅瓦が日光東照宮・江戸芝の増上寺・上野の寛永寺の建築や江戸城の増改築に使われ、これに応じて銅山街道(あかがね街道)が設け

    銅とともに生きた足尾
    mame90
    mame90 2017/09/10
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    mame90 2017/09/10