ネットの森をさまよっていると、しばしば「地獄への道は善意で舗装されている」という箴言を見かける。検索してみたところ、この言葉、もとはイギリスのことわざであるらしい。さらなる元ネタはシラーだともいうが、よくわからない。 まあ、「善意で行動したことであっても、思わぬ悲劇を生む原因になりえる」という程度の意味だろう。なかなか含蓄が深い言葉ではある。 しかし、たまにここから「だから善意での行動は信用できないのだ」という結論が導かれているところを見かけると、「ちょっと待ってくれ」といいたくなる。たしかに善意は時に悲劇を生むかもしれないが、やはり悪意で行動するよりは善意で行動したほうがいいと思うのだ。 そもそも、だれかがある行動に対して「あなたの行動は善意がもとになっているからあてにならない」と批判するとき、その動機もまた善意なのではないか。すべて善意があてにならないなら、善意を批判する善意もまたあて