ブックマーク / kame710.hatenablog.com (368)

  • 2019.5.3 臨時総会 - カメキチの目

    カメキチの目 (前に、住んでいる集合住宅マンション》の管理組合理事会の理事になり、会議時間の長さに対する不平不満を書きましたが) 1月に大きな問題が、ふってわいたように起こり、これをめぐってなんどか臨時の理事会も開かれ、ついにこの前、臨時総会開催となった。 臨時総会 は10連休初日の夜であったが、日々の管理・運営に直接かかわる重要な議題であるだけに、(期限のこともあって)この日しかないというタイミングで行われた。 急な開催で はあったが、(委任状が大半とはいえ)大勢の出席者があり、無事に進み(そればかりか、すばらしい意見も出され)、理事会の望んだ結果になった。 1月なかばに突如おこった大問題に、この間(ときにはご自分の勤め先も休んで)奔走された理事長さんはさぞかしホッとされたことだろう。 (私のような採決数に「貢献」するだけの理事でも、「臨時総会が無事に過ぎますように…」と心配しましたが

    2019.5.3 臨時総会 - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/05/03
    マンション管理の難しさ。人が集まれば意見を集約するだけでも大変。まとまってよかったです。いい方向に進みますように。
  • 2019.4.30 『猫も老人も役立たずでけっこう』① - カメキチの目

    カメキチの目 という養老さんのを読んだ。 あまりにおもしろかったので、いくつか感想を。 を飼っておられ(名を「まる」といいます。関係ないけどウチのとても親しい方のペット《犬》も同名)、その愛のように自分も「役立たず」、でも役立たずで結構と続けられる。 夏目(漱石)じゃないが、目で人間をみる。 ーーーーーーーーーー ① の初めは「吾輩はまるである」。 養老さんは81歳。 そもそも「役に立つ」と私たちが言うとき、それは人間にとっての「役立つ」ことである場合がほとんど。 (それに、同じ人間といってもいろいろある。 「忖度」が出世に「役立つ」という人もおれば、出世なんか…という人もいます。 「役に立つ・立たない」というのは信じる価値、価値感によってさまざまなのですね) 「役に立つ」とかなんとかいっても、それは世間のものさしがほんど。 (「ふつう」とか「常識」というものさし)。 そんなもん

    2019.4.30 『猫も老人も役立たずでけっこう』① - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/04/30
    役に立つとか、生産性とか、そういうことで生きているものを測る人にはなりたくないなあと思います。
  • 2019.4.26 石ころ - カメキチの目

    カメキチの目 「石ころ」というテーマが目にとまったので、Eテレ『美の壺』という番組をみた。 海辺を旅したら、はるかな水平線や潮の干満だけでなく、海岸や砂浜の石ころにも目がいく。 気にいったのを探す。拾う。 (石ころだけじゃもったいないので、貝殻などのお気にいりも探す。これを「ピーチコーミング」と呼ぶことをブログで知りました) 探しても見つからなければ妥協する。 「しかたないか…。まあこれでガマンするか…」 しかたなく拾った石ころでも、じっと見つめているうちに「きれい」「美しい」と思えることもある。 (そうなれば儲けものだが、別にならなくてもいい) 「きれい」でなく「ふつう」でも、ちゃんと記念の役目ははたしてくれる。旅の思いでをひき出してくれる。 拾った後、気をつけなければならないことがある。 拾ったものを「忘れるはずがない」と、そのときは高をくくっているが、帰ってから前の旅で拾った石ころに

    mamichansan
    mamichansan 2019/04/26
    現代の宮沢賢治ですね。私も旅先で石を探してみようかなー。どこでもおんなじようなお土産を買うよりも記憶に残りそうです。
  • 2019.4.23 未来の他者 - カメキチの目

    カメキチの目 私は記憶力が弱い。 (でも、「覚えがございません」と言うほどの健忘症ではない) を読み、気にいったことを見つけたら覚えておこうと、若いころはその箇所は赤線を引っぱったけれど、いまは時間があるので書く(パソコンに打つ)、写す。 写し書きしたことはコピペで楽に記事に引用できる。 (記憶力の弱さ+低下をパソコンは補ってくれる。議員や秘書、官僚もみんな残らずパソコンを持てばいいのに《あっ、持っていても「記憶にございません」か》) 『夢よりも…』は気にいった部分が多かった。 もう一つだけどうしても記事にしたくなった。 (「トカゲの…」が②だったので、これは③で、最後とします) ---------- 原子力は、武器として使用すれば人類を滅亡させるかもしれないけれど、「平和的に」使えば二酸化炭素も出さず、したがって地球環境にもやさしいエネルギー資源だとされている。 はたして(そもそも)い

    2019.4.23 未来の他者 - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/04/23
    廃炉費用を考えれば、原発は「安い」とはとても思えません…。まだ見ぬ未来世代に負担を押し付けている気がするんですよね…。
  • 2019.4 .19 トカゲの貧しい世界 - カメキチの目

    カメキチの目 (前回、『夢よりも深い覚醒へ』というから「偽ソフィーの選択」という記事を書いたばかりですがそれを①とし、きょうは②です) 私は、東北大震災、3.11の直接の被害者ではないので、被害に遭った方々の言葉にならない辛さ、苦難を実感できない。 しかし、想像してみる。 同じ目に自分が遭ったら… 大津波に家族や親しい人の誰かが流され、わが家がなくなり、原発事故で故郷を追われたら… 自分が遭わなかったのは、「たまたま」に過ぎない。 遭ったのも遭わなかったのも、必然性はない。 同じめに遭遇したとしても、それぞれの体験は違う。災害の受け方も、受けとめ方も。 (初めにこんなこと書いたのは、「トカゲの貧しい世界」という項目で、著者大澤さんが述べておられることが強く感じられたからです) ---------- ハイデガーという哲学者は学校で名前を聞いたくらいで、老いたいまになってまた聞くことがあろう

    2019.4 .19 トカゲの貧しい世界 - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/04/19
    なにかしら危ないことがあって、それを回避できた時、違う次元の自分は事故に巻き込まれていたのかもしれないと考えることがあります。危険に巻き込まれた無数の次元の上に立つ、今無事な自分…字数が足りない~(>_<)
  • 2019.4.16 「3.11以降の哲学」 - カメキチの目

    カメキチの目 私も思春期の初めころは(初めだけ)麻疹に罹るみたいに、「自分」とは?「生きる」とは?といちおう悩んだ。 人生訓(マニュアル)のをいくらか読んだ。 しかし、ほとんど「素直」「誠実」…礼賛ばかり。学校の道徳の延長にすぎなかった。 考え方・心のありかた次第で人生・世の中は変わる、 曲がっていては世の中のすばらしさがみえない。 私の性根を責められているようで、「説教」に思え、そのうちウンザリし、読まなくなった。 (ふり返れば、そのころから社会に反発するようになった。自分のいたらなさを《直接には》他人のせいにしなくて「社会」のせいにした。 確かに自分の心はまっ直ぐではないが、世間の方に自分を合わせる、不合理で汚い社会に自分を合わせるのはイヤだった。「素直」=「従順」としかとらえられない未熟者だったわけだ。老いた今、多少は変わってもあまり変わらない) そのご触れるようになった哲学。

    2019.4.16 「3.11以降の哲学」 - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/04/16
    パチンコ店はなくなってほしいし、コンビニも24時間でなくていいです。夜中に営業してるのは警察・消防・病院くらいでいいんじゃないかな・・・
  • 2019.4.12 桜 - カメキチの目

    カメキチの目 桜を写していたら、あらためて思った。 なんでもそうであるように、背景(まわり、環境)もいろいろで、しかもそれぞれにもれることなく光があたっている。そうして、(写真のばあいは)一枚いちまいがあるのだということを。 (人間も一人ひとりに家族があり社会があって、陽もあって。それらに照らされて自分の人生があるということも) ちりとてちん

    2019.4.12 桜 - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/04/12
    日に透ける花びらの美しいこと!やっぱり桜っていいなあ。
  • 2019.4.9 枯葉剤 - カメキチの目

    カメキチの目 1月4日に「イエメン内戦」という記事を書いた。 こちらはいま現在、進行中の戦争による悲劇だが、ネタもとのNHK『これでわかった! 世界の今』というニュース番組で、 こんどはベトナム戦争(1969~1975)のときの、アメリカの枯葉剤散布で、浴びたベトナムの人々から生まれた障害児たちのいま現在の姿を伝えていた。 とうの昔に終わったはずの戦争が、悲劇だけは形を変えていまも続いている。 枯葉剤。ウィキペディアによれば 【引用】枯葉剤(かれはざい)は、除草剤の一種である。ちなみに、ベトナム戦争で散布された枯葉剤はダイオキシン類の一種2,3,7,8-テトラクロロジベンゾ-1,4-ジオキシン (TCDD) を高い濃度で含んだものである。… ーーーーーーーーーー 「いまじゃ仲よくやっている」というのは、日アメリカのことだけではなく、ベトナムとアメリカだって同じなのだ。 (ところでアメリ

    2019.4.9 枯葉剤 - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/04/09
    次世代にまで禍根を残す兵器はあまりにも残酷です。使うべきではないのに、どうして使ってしまうのか・・・問題は核兵器だけではありませんね。
  • 2019.4.5 シャカサイン - カメキチの目

    カメキチの目 旅はもちろん、外に出ると写真をよく撮る。 旅の場合は思い出にもなるので、ときどき人間のこっちも被写体(ほとんどは景色)になる。 (故人や遠い地の親しい人をアルバムでみるとき、時間をさかのぼり場所を超えているような臨場感をもち、写真は偉大な発明とつくづく感じる) そのとき、(この歳になっても気はずかしい)自然な表情はできない。ちょっとふざけるかおどけるかしなければならない。たまによそゆきの真面目をしてみるが、笑えてしまう。 「シャカサイン」というのを知って10年近くなる。 ハワイでは、「シャカサイン」という手のひらでつくるハンドサインによって、“気楽に行こう”、“やったね”、“ありがとう”、“すべて順調”、“じゃあね” などの思い、親しみを込めたメッセージを表現するそうだ。 つまり、会った人をいい気もちにさせる万能の挨拶みたいなもの。 (会ったときの「こんにちわ」・「よぉ!」+

    2019.4.5 シャカサイン - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/04/05
    今朝見ておけばよかったー。今日写真を撮ったので・・・次の機会にはきっと・・・!
  • 2019.4.2  フラッシュフォワード - カメキチの目

    カメキチの目 Eテレ『原発事故 命を脅かす心の傷』をみた。 【番組HPより引用】原発事故から8年。住み慣れた「ふるさとの喪失」が人々の心と体に何をもたらしたのか。NHK取材班は、苛酷な避難生活が続く中で命を落とした被災者の遺族が作成した『死に至る経緯書』を入手し、徹底分析。さらに「フラッシュ・フォワード」と呼ばれる独特の心理現象が被災者を苦しめている実態を伝える。 「フラッシュフォワード」という言葉を初めて聞いた。 (「フラッシュバック」というのはよく聞きます。それが体験した「過去」の恐ろしさ・怖さにとらわれるのに対し、「フラッシュフォワード」は、予想される未来の恐ろしさ・怖さに対しておそれおののくこと。ともにパニックにつながりやすく、そうでなくとも体調を乱す) ことしも3月11日がやってきた。もう8回目だ。 8年にもなるというのに、福島には、故郷にかえられない人たちが大勢いる。 【NHK

    2019.4.2  フラッシュフォワード - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/04/02
    原発事故が日本人に落とした影にあまりにも深い。どれほど見つめてもその深淵の底は見えない。つらいなあ・・・。
  • 2019.3.29 『植物のこころ』 - カメキチの目

    カメキチの目 植物にこころ? 『植物のこころ』(新書)を読んだ。一般向けのものだからわかりやすく、とてもよかった。 私は高校に「生物」という科目はなかったので、中学の理科第二分野ていどの生物知識しかなかったのに若いとき、「生物学的次元で人間をとらえてはいけない」とエラそうなことをよく思っていた。 (私の若いころは頭の中は「人間」や「社会」のことだらけ。人間以外の生きものは目に映ってはいても、そこから先へ進むことはなかった) 若いときは、それほど「人間主義」「ヒューマニズム」(いまは死語?)という言葉に酔っていた。 「ヒト」は霊長類に分類された生きものの一種にすぎないというのに、「生物ピラミッド」の頂点に位置しているということで、ほかのいろいろな生きものより優れていると無意識のうちに思っていた。 (いや、そう「思いこむ」ような社会と時代の状況が当時の日にはあったのだろう。「高度経済成長期」

    2019.3.29 『植物のこころ』 - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/03/29
    「節」がそんなにも大切なものだったとは・・・「人間至上主義」もここにきて少し修正が必要なのかもしれないですね。
  • 2019.3.26 『まんぷく』 - カメキチの目

    カメキチの目 朝ドラ『まんぷく』がもうすぐ終わる。 よかった。 感想を二つ。 ① ふだん「あたり前」(意識しない)にべているものを、漠然とべるだけではいけないと思った。 それらをべられることがあたり前、なま易しいことではないことを強く感じた。 (魚や肉《野菜なども》、かつて人間と同じように命があったこと、その命をすことにより自分が生きているを感じやすいので、獲り育ててくれた人への感謝も加わり、「いただきます」と敬虔な気もちになります。 しかし、第二次産業による加工品に対しては、それを研究・開発した人々、製造する方々のたいへんさまで想ったことがなかった) ドラマは即席ラーメン開発物語だった。 ドラマではあるが、事実やエピソード話をもとに創作されたのだろう。 即席ラーメンが私たちの卓に登場するまでの苦労・苦難を、登場人物たちとともに味わった。 (「苦労・苦難」ではないですが、私の初

    2019.3.26 『まんぷく』 - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/03/26
    インスタントラーメンの進化はほんとにめざましいものがありますが、何事も最初の一歩が大変なんだなあとしみじみ思いました。
  • 2019.3.22 たたらを踏む - カメキチの目

    カメキチの目 「たたらを踏む」という言葉がある。 それなんじゃ?と若い方は思われるかもしれません。 「語源由来辞典」より 【引用】【たたらを踏むの語源・由来】 たたら(踏鞴)は、金属の精錬・加工に必要な空気を送り込む大型の送風器「ふいご(鞴)」のことで、足で踏んで空気を吹き送る。たたらを勢いよく踏むさまが、空足を踏む姿と似ていることから、勢い余って踏みとどまれず数歩あゆむことを「たたらを踏む」というようになった) 先日、マンションのエレベーターに乗ったとたん、たたらを踏んだ。 そのときは、扉が閉じようとしていた。 しかし、杖をついていても間にあいそうだったので、あわてて乗った。すべり込みセーフ! 「セーフ」はよかったのだけど、先客がおられた。 その人はこっちより若そうな60代の男性でおひとりだったが、私は他人がいると気をつかい、ちょっと緊張する。 小さくなろうとして(ドラえもんのようにほん

    2019.3.22 たたらを踏む - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/03/22
    お怪我がなくて何よりでした。人にはそれぞれ事情がある、ということをいつも忘れないようにしたいと思います。
  • 2019.3.15 禅語「応無所住而生其心」 - カメキチの目

    カメキチの目 応 無 所 住 而 生 其 心 「オウ・ム・ショ・ジュウ・ニ・ショウ・ゴ・シン」と、いかにも禅の言葉らしく音よみできますが、 意味は訓よみ、「応(まさに)住する所無(の)うして其(そ)の心を生かすべし」です。 『金剛般若経]という経典にあるというから「オウムショジュニ・ショウゴシン」と(「ナム・アミダブツ…」のようにリズムをつけ)自己暗示するように唱えるのがきき目ありそうです。 説いていることは、「空」や「無」、つまり予断、偏見をもつことなく、またひとところにいつまでも「住む」「とどまる」「執着する」のではない、そんな新鮮な心でいたい。 要は『般若心経』の有名な「色即是空」「空即是色」を具体的な行動にあたっていかした言葉という感じ。 ーーーーーーーーーー 生きているといろいろなことがあり、「喜怒哀楽」にとらわれる。 とらわれまいとして目を瞑っていてもダメである。 つねに自分が

    mamichansan
    mamichansan 2019/03/15
    過ぎたことをくよくよといつまでも悩むのはよそうと思いました。なかなか難しいのですが…修行が必要そうです…(>_<)
  • 2019.3.12 日航123便墜落 - カメキチの目

    カメキチの目 ㈱日航空の旅客機が1985年の盆がはじまるころ、落ちた。 (当時、若かった私は家族づれで実家に盆帰省していたので、驚きとともに鮮明に覚えています。阪神・淡路や東北大震災と同じような大ショックをうけた) 『日航123便墜落 遺物は真相を語る』 作者は青山透子さん(いまはドキュメンタリー作家ですが、元日航客室乗務員)。 青山さんのブログ ↓ 「日航123便墜落―遺物は真相を語る・天空の星たちへ」公式ブログ 彼女が大きな疑問を持つきっかけとなったのは十五年前とのことで、以来ずっとこの事故・事件を追及されています。 【引用】 「一九八五年の日は、戦時中でも突発的有事下でもなく、平時のごく平和な日々だったはずだ。…平和な日の一九八五年八月十二日、まるでナパーム弾に焼かれたごとくの遺体が、なぜ群馬県上野村になければいけなかったのか。 一般人が手に入るはずもない武器燃料で焼かれた可能

    2019.3.12 日航123便墜落 - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/03/12
    そんな疑念が存在していることすら知りませんでした。いつか謎が解明される日が来るのでしょうか…疑いを持ったままのご遺族はどれほどおつらいことでしょう。胸が痛くなります。
  • 2019.3.8 地方が消える  - カメキチの目

    カメキチの目 前回、『目からウロコの自然観察』というを読んで思ったことを書いた。 自然は人間じたいがその一部、「自然」的存在なので、能・DNAに自然への感性が組みこまれているのだろう。 しかし、人間は同時に「社会」的存在だから、仲間・同類から離れては生きてゆけない。 私の生きているのは日という国。 ーーーーーーーーーー 子ども時代をすごした故郷を思ったり、旅で「シャッター通り」を歩いたり、酔いそうになる大都会の雑踏を行くとき、ふっと思う。 「過疎、過密」「地方と中央」「一極集中」…。 この偏りを、この国の政治や経済のリーダー、エライさんはどう考えているのだろうか(考えてないか)。 この偏りは、国土でしか生きられない人々(国民)の生活の質、その差・不平等に歴然とつながっている。 (「生活」というのは、いってみればその土地で暮らしている人にとっては身近な「現実世界」であり、そこに長く住ん

    2019.3.8 地方が消える  - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/03/08
    選択と集中・・・でも切り捨てられる方の痛みは中央には届かないのですねえ。でもリスク管理の意味でも現在の一極集中には問題があると思います。
  • 2019.3.3 『目からウロコの… - カメキチの目

    カメキチの目 自然観察』(唐沢孝一)というを読んだ。 自然ゆたかなところだけでなく、街でも体験できる自然観察をあらわしたものである。 (新書版で一般向け。カラー写真も豊富。とてもわかりやすく、読んでいて楽しくなります) おもしろい話がいっぱいあるなかで、二つだけ紹介します。 ① JR山手線駒込駅のツバメ 著者はおととしの6月、山手線駒込駅でツバメ3羽がぶじ巣立ったと知った。 もちろんツバメが巣立ったことじたいはなんでもないのだが、筆者をふくむ自然観察グループが1984年ころから東京都心でツバメの繁殖を調査したところでは、1980年代(まだ国鉄時代)には、山手線も中央線も、ほとんどの駅で改札口付近の頭上に巣があったそうだ。 (しかし、気づいたときにはツバメの繁殖は見られなくなっていたとのこと) 筆者によれば、繁殖、すなわち巣をつくってヒナを産んでヒナが巣立つまで育てるためには、 ①物であ

    2019.3.3 『目からウロコの… - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/03/04
    我が家のご近所にもツバメを保護する商店街があります。春になるとあちこちに巣がかけられて、にぎやかです。今年もたくさんのヒナが巣立つといいなあ。
  • 20193.1 ブログに気をつける - カメキチの目

    カメキチの目 2.19の記事の終わりに追加で書いたことを、自分の今後のブログへの姿勢・態度のこともあり、反省しながら考えてみました。 不快な出来事は、ブログ世界(SNS一般)というものを考えさせざるをえなかった。いままで「他人ごと」ですんでいたことがわが身に起きたのです。 「他人」でなく「自分」のことになったといっても、まだ「しょせん現実世界での出来事ではない」のですが、考えさせらる経験でした。 何かを言う、伝える、発信するとは、受けとる側があって(あると想像して)のこそ。 そこは(いくら文章表現に気をつけても)「誤解」が避けられない場合があることを痛感した。 今は、読んで共感の印、☆をつけるだけでとどめればよかったたなあとすごく後悔しています。☆だけでなくコメントをしていた(一方的ではあっても「Bコメント」が使えればよかったのですが、私は「はてなブログ」から禁止されているので使えません)

    20193.1 ブログに気をつける - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/03/01
    カメキチさんが元気を取り戻してくださいますように!と祈っています。大阪から念を送っときますね~!
  • 2019.2.26  『老いの空白』⑦ - カメキチの目

    カメキチの目 『老いの空白』シリーズも7回目となりました。きょうでおしまい。 最後は鷲田さんの「まとめ」のようなものですが、そのままの叙述にしたがって書きます。 ⑥ ・高貴なまでのしどけなさ ・通り抜けるものとしての家族、あるいは「その他の 関係」 ・一枚のピクチャアへ ーーーーーーーーーー 【引用】 「高貴なまでのしどけなさ (栗原彬)「…カントのこの礼節(死ぬ間際であっても、カントは往診してくれるドクターを部屋に迎えいれるために、自ら立ってドアを開け挨拶をする)は、…ほとんど無意味な行為といえます。それはエネルギーを浪費する行為であり、いわば無為の行為です…しかし、私はカントの文字どおり命をかけた無為の行為に心動かされます…」…」 人はだらしなくみえても、最後まで人としての尊厳にみちた姿でありたいという意味のことらしい。 たとえ外見はだらしなく見えても尊厳にみちてると思いたくなるよう

    2019.2.26  『老いの空白』⑦ - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/02/26
    「誰もが家の中では有名人」・・・いい言葉ですね。はっとさせられました。家族を大切にしなくては、ですね・・・。
  • 2019.2.22 『老いの空白』⑥ - カメキチの目

    カメキチの目 ⑤ 「べてるの家」の向谷地さん、「ある」の芹沢さん。ご両人の人間を根源的にとらえる理念・思想をかり、それを紡いできた鷲田さんの主張。 そのことを老いの介護という現実にそくして考えるとどういうことがいえるのだろう。 -介護の現場を前にして- 【引用】 「暴力としてのケア したがってまた、弱い者を助け、支えるケアの現場は、ケアという行為そのものが暴力すれすれの危うさを隠しもつだけではなく、ケアが暴力そのものに反転してしまう可能性を拭うことのできない空間でもある。… 辱めを口にできない被介護者の屈がこのように「攻撃」へと転化することで、「高齢者と介護提供者の関係性には齟齬が生じ、両者の関係はまるでお互いに棘を刺しあうヤマアラシのような状態となる」。 「ヤマアラシのような状態」は、被介護者の受動性だけが引き起こすものではない。介護者のほうもまた、「優しさ」「暖かさ」「倫理」といった

    2019.2.22 『老いの空白』⑥ - カメキチの目
    mamichansan
    mamichansan 2019/02/22
    昔に比べて介護に要する時間がどんどん長くなって悲劇性が増している気がします。家族でなんとかできる範囲を超えているような。介護ロボットとか早くできないかな・・・。