今年ほど「生産性」という言葉に注目の集まった年はこれまでなかったかもしれません。 生産性の定義は意外と複雑ですが、人(労働者)の視点から見た生産性をざっくり言うと、労働者1人あたりや、労働時間1時間あたりにどれだけの量を生産したか、どれだけの付加価値を産出したか、ということになります(参照:日本生産性本部「生産性とは」)。 国家は国民の上に君臨しているわけではないので、労働力として使うことのできない人、子どもを産まない人を「生産性がない人」とラベリングすることはできません。にも関わらず、国政に携わる政治家が性的少数者を「生産性がない」とひと括りにしてしまったことが、この言葉に注目が集まるきっかけとなりました。 人を「生産性があるか、ないか」という視点で分類することが危険だというのは、多くの人が直感で悟っていることだと思います。それはかつて日本でも優生思想といわれるものが取り入れられ、国家に
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