国母の件について。 この話ってつまるところ、「公の場にはどんな服装が好ましいか?」という個人の価値観に集約されるのよね。で、個人の価値観故に人それぞれバラバラであり、それぞれが正しさを主張する。それぞれに正しいとすべき理由があり、その理由が正しければ、服装に対する結論=国母の服装アリナシも自動的に正しい。 なんなんだ、このバカわ!? 「公の場」における「価値観」は「公」が決めるのだ。「バラバラ」なものから「どんな服装が好ましいか」を決めることなど不可能に決まっているではないか。「自動的に正しい」か否かは、あくまでも「個人の価値観」においての話に過ぎず、それをさておいた上で「公の場」にふさわしいと定められたもののみが「公の場」では「正しい」のだ。 これこそ個性尊重主義に毒された「世界にひとつだけの花」症候群罹患者の戯言である。このバカの戯言は「公」を舐めきっていた国母と同じだ。仮にJOCだか