まだ女性参政権も認められていない1929年(昭和4年)、『婦人画報』は2号にわたって『婦人内閣が組織されたら』との大型特集を掲載。1号目は各界の男性が、個々の大臣も含めた女性内閣の顔ぶれを想定するもの。2号目は前号で名前のあがった女性が、施政方針を述べるという斬新な構成でした。 「号外! 号外! 号外! 婦人内閣組織さる という号外売りの呼び声が、春まだ寒い政治季節の2月の朝、突如として人々の耳を打った」というコラム文章に添えられた、「婦人内閣組織さる」とのセンセーショナルなタイトル文字。雑誌ならではの、いわば知的な「遊び」とはいえ、多くの人の目を引き付けたに違いありません。筆者は、当時の論壇で人気のあったジャーナリスト、室伏高信。彼によれば、首相は女子教育の先覚者として、そして歌人としても活躍した下田歌子。文部大臣には与謝野晶子、平塚らいてうこと平塚明子を内務大臣に、そして、内閣を組織す
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