江戸時代にはじまった将棋の駒作りをはじめ、古くから木工業が盛んで知られる山形県天童市に、天童木工が創業したのは1940年のこと。もともとは地元の大工や建具などの業者が集まって結成された組合でしたが、軍が規格した木製弾薬箱の依頼に対して、高い品質が認められたことで仕事の量が増え、1942年に有限会社天童木工製作所を設立。戦争の末期には、アメリカ軍による上空からの偵察をごまかすために作られた木製の「おとり機戦闘機」を請け負っていました。このころ、仙台の工芸指導所で木製飛行機の研究をしていた剣持勇氏と出会います。 戦争が終結すると、貧しい日本が必要としていたのは戦うことより生きるためのもの。つまり軍用品ではなく生活用品でした。軍需の恩恵を受けていた天童木工は、そんな時代を読み取り、手持ちの材料を用いて民間向けの家具の生産へシフト。1947年には、成形合板に利用できるのでは、と当時にはとても珍して
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く