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ブックマーク / plagmaticjam.hatenablog.com (3)

  • ぼっち・ざ・ろっくのリアリティーについて - メロンダウト

    ぼっち・ざ・ろっくを全話視聴した。コミュ障陰キャ女子高生がバンドを組んで文化祭でライブするまでの物語だ。 最初に持った感想は「ロッキンオン読者から批判されそう」だった。ぼっちちゃんの承認に飢えてる感じはカートコバーンが忌避した資主義的消費構造そのものだったので、オールドロックファンからはなんか怒られそうだなと思ってしまった。今やロックも資主義に包摂されているのでそういう感覚を持つ人もいないのだろうけど。 あとはぼっちちゃんのあの暖かい家庭をつくった両親が娘に「ひとり」という名前を付けたのはけっこうなホラーなのではと思ってしまった。冷静に考えたらものすごく怖い。はっきり両親もロックに傾倒してると言ってくれれば娘に「ひとり」という名前をつけるのも腑に落ちなくもないのだが作中では父親がギターを持っていたという描写しかされておらず、母親にいたっては理想的なママでしかなかった。それがある意味で怖

    ぼっち・ざ・ろっくのリアリティーについて - メロンダウト
  • はてな民のために球技の意味について政治的かつ実効的に語りたい - メロンダウト

    anond.hatelabo.jp 誰か教えてくれ。 「体育の授業に球技を入れることに何の価値があるのか」ってことを 私はけっこう運動してきた人間で、だいたいの球技は人並み以上にできたりするのだけど、なぜか体育嫌いの巣窟であるhatenaにいるのではてな民のために運動について語っていきたい。 学校の授業に球技を入れることの意味について増田は疑問を呈しているけれど、球技以外で子供がやって楽しい集団スポーツを上げるとなるとかなり難しいと思うぞ。 球を使わない集団スポーツって実はかなり少なかったりする。体育の授業で行える球技ではない集団スポーツってダンス、綱引き、騎馬戦、団体行動、縄跳びぐらいじゃないかな。柔道や空手のチーム戦もあるけど今のご時世ケガしたら保護者からクレームがくるので無理だと思う。設備があればボートや自転車も楽しいけれど費用がかかるので一般的ではない。 となると何も設備がなくても

    はてな民のために球技の意味について政治的かつ実効的に語りたい - メロンダウト
    marmot1123
    marmot1123 2022/05/25
    運動は中の下くらいだったけど、それなりにわちゃわちゃやって体育は別に嫌いじゃなかった勢。でも確かにこうすれば上手くなれると先生に教わった記憶はないな。
  • 市民感覚としての白饅頭、知性主義の限界、経験の抹殺 - メロンダウト

    呉座氏の炎上の件で白饅頭氏が話題だけど、個人的に彼は市民感覚の人といった印象を持っている。市民感覚的リベラルとでも言えばいいのか、現代ビジネスの記事等を読んでいると市民の感覚を言語化することに長けている印象を受ける。政治的なことを市民感覚と織り交ぜながら書いているので、いわゆるリベラル知識人にとっては癪にさわるように見えるのかもしれない。知識人がポピュリズムを批判するのと同じで、市民感覚に沿ってポピュライズドされた氏の記事が知的なものだとは言いたくないのであろう。一部のリベラル知識人に見られるものだが、市民を啓蒙するのは我々リベラルだという特権意識が見え隠れする時がある。 そういった、知性主義とでも呼ぶべき態度はたとえば私のような泡沫ブロガーでも感じるもので、知は知として専門的であり体系的でなければならないといった空気は厳として存在する。たとえば、白饅頭氏がよく批判しているフェミニズムにつ

    市民感覚としての白饅頭、知性主義の限界、経験の抹殺 - メロンダウト
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