【要約】 人間はしばしば、自分には理解や推定が及ばないファクター全般を運のせいにするので、その人の推定が及ぶ範囲や理解の程度によって、(その人から見た)運に左右される体感度は変わる。とはいえ、出来事に関連したすべてのファクターを見通すことは人智を越えているので、把握力を鍛えようと頑張るだけでなく、すべてを把握しきれないという前提にたった処世術が好ましい。 【「運が悪かった」というぼやきの点検】 “いわゆる運の良し悪し”とは何だろうか? 世の中には、人間の知恵では予測出来ないことが沢山ある。商店街のクジで一等をひく幸運や、飛行機事故に遭遇する不運は、人間にはまず予測がつかないので、これこそ正真正銘、運次第というところだろう。 しかし、世の中で「運が悪かった」と言われる出来事のなかには、すべてが予測不能の運次第と言いきれないものも多い。例えば、ミッドウェー海戦に際して偵察機が故障してしまった旧
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