ブックマーク / circumstances.hatenablog.com (6)

  • 4.2㎏痩せた。 - 身の上話

    今日も午前3時に滝のような汗をかいて目が覚めて、しかし午前6まで身体が動かない。結局午前0時から3時間しか寝ておらず、起きたらボロボロに疲れている。あまり判りたくないことだが、過労で自殺する人の心理が判った。 7月10日から4.2㎏痩せた。嘔吐は止まっているものの、まだ水溶性の下痢が続いている。休みの間、皆に内科にかかれと急かされたけど、これは肉体的な症状ではないのだよ。内科は内科でも心療内科の領域。冷や汗もかいているし。

    4.2㎏痩せた。 - 身の上話
  • 下痢と原因は食物繊維入り飲料? - 身の上話

    午前5時。スマートフォンより。また大量の発汗と鳩尾が痛いのと下痢が始まった。土曜日に始まったとき物繊維入り飲料を飲み過ぎたのかと思って止めたのだが、一昨日、収まったので飲み始めたら、再び同じ症状に。因果関係は判らないけれど、これは心療内科ではなく内科の症状だと思う。主治医に判断を仰ぎます。

    下痢と原因は食物繊維入り飲料? - 身の上話
  • 雨の日にTVドラマを観ながら思う。 - 身の上話

    昨日のエントリーは、ある人の言葉を借りれば「漲っている」という感じで、書いているときは充実感を覚えたのだが、読まれていない。私のBlogが「読まれる」基準として、当然、アクセス数が上がるというのはあるのだが、微増である。その代わりセッション維持時間が激増する。 今回は、どちらもなかった。アクセス数については、大量のページをFetch as Googleしていて、Googleのクローラーから1ページあたり8アクセスほどあるので、正直、アクセス数は判らない。はてなブログのアクセス解析とGoogle アナリティクスとの乖離が激しく、一瞬、何が起きているのか判らなった。 SEOはしない方針だが、Fetch as Googleしているのは、信憑性の怪しい話などが読まれていることと、肝心な文学的なエントリーが読まれていないからだ。Goolgeのインデックスに登録されていないページが多く、それで読まれな

    雨の日にTVドラマを観ながら思う。 - 身の上話
  • 弱い自分。 - 身の上話

    水曜日・木曜日と銀行を回った疲れが、まだ取れない。特別なことをしたわけではないのに、なぜ、こんな疲れるのか。金曜日は、疲れて朦朧とした頭で前任の保健師さんに電話し、ひょっとして嫌われたかもと思い、再度、電話をしている。 昨日はヒルナミン(レボトミン)を服んで寝た。意識が朦朧とすると、理性で封印されている昔のことなどが思い出されて苦しくなる。もう、会社を辞めて17年、ここに引っ越して25年になるのだなと思う。それは勤めなどできなくなるし、家も立ち退きになろうというものだ。 その疲れから、まだ、解放されていない。向精神薬を服んでいるせいもあり、酒を禁じられているのだが、飲みたくて飲みたく仕方がない。私は文章を書くことで全てを乗り越えられるほど強くない。今日は飲むかもしれない。ビールの写真をアップすると、はてなブログの記事ピックアップで取り上げられるので、写真はアップしない。 (結局、飲みました

    弱い自分。 - 身の上話
  • 岡田准一版「白い巨塔」を観た。 - 身の上話

    山崎豊子先生が亡くなって初めての映像化となるが、感想としては思ったより良かった。 前回の唐沢寿明版では、唐沢寿明さんは山崎豊子先生にお前に財前が務まるのかというようなことを言われたらしいが、岡田准一さんの存在感は有無を言わせない。逆に、脇を固めるのが、これで大丈夫かなと思ったが、観ているうちに気にならなくなった。 ちなみに観たシチュエーションだが、生で観ては疲れて翌日は録画で観たりということで、観る環境が一貫していない。また、私は午後10時には眠剤を服んでしまうので、朦朧として覚えていないところもある。 最初は、落っことしていったエピソード(佐々木商店の窮状「真珠湾攻撃」など)を数えるように観ていたが途中から止めた。脚の出来も思ったより良く、ケチを付けるべきではないと思ったからだ。 原作では、まだ写真技術が未発達で、患部のエックス線写真がどーたらこーたらという話があり、唐沢版では、それを

    岡田准一版「白い巨塔」を観た。 - 身の上話
  • ニッチモ・サッチモ - 身の上話

    にっちもさっちも行かない。当、スランプと以外、いいようがない。私生活が充実していれば、まだ救いがあるが、外出ができず(通院以外では3週間、外出していない)、寓居マンションの最上階から東京タワーの写真を撮ったりしている。 にっちもさっちも行かないといえば、こんなことを思い出す。新橋の銀座口にトニーズ・バーという、文壇バーの最後の灯というような店があった。まぁ、他にも、まだ、クールとかルパンはあったのだが(ルパンは今も健在)。 マスターのトニーさんはイギリス人と日人のハーフで、お父様はキリスト教の宣教師として来日されたとのこと。なので、戦時中は収容所に入れられ、その賠償金で店を始めたとのことである。 私は、専門学校の学生時代、作家というものは、こんなところに行くのかという興味から通い始めた。もう、作家なんて村松友視先生しか来ていなかったけど。そこでルイ・アームストロングが話題に上っていたと

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