人はいろんなオカルトっぽいものにはまる。まわりで見ている人は、馬鹿だなあ、と思う。でもそれでもオカルト流行はとまらない。人は日常がつまらなくて、別の世界を欲している。そして空想にふけるのが得意な人がいるように、そういう別の世界の体系(またはその片鱗)を構築してしまえる人もいる。それが、場合によっては小説家とかアーティストとかになり、時と場合によっては宗教家になり、そしてどこかでまちがえればペテン師や犯罪者になる。 でも人々は、それを知っていてもなおそれにすがろうとする。それが人の哀しさでもある。 で、そういう人物の一人が、カルロス・カスタネダ。シャーマンに弟子入りして呪術的技法を修得。過去を経ち、親類縁者もいない、完全な自由人。十一巻に及ぶかれの著作は、大ベストセラーとなって無数の信奉者を産み、いまなおニューエイジの連中のバイブルだ。日本では、真木悠介がやたらに持ち上げて有名になった。 そ
昨日麻原裁判が終わった。予想通りの死刑だった。今朝の新聞各紙は当然これを扱うのだが、社説一本でこれに充てたのは大手では朝日新聞と読売新聞だけであり、他紙は短く扱うにとどめた。判決が予想どおりなので、社説の下書きはすでにできていたと見ていい。が、長短あるにせよ、どれも読むべきほどの内容はなかったと私は思った。しいて言えば、朝日があの時代を総括しなにかを学ぼうという視点を出したのは評価してよいと思う。また、新聞ではないが、日本版ニューズウィークのリチャード・ガードナー上智大学教授「オウム判決で裁かれる日本社会の『罪』」の寄稿も、河野義行と森達也に視点を当てていたが、率直なところ、そういう気取りがいかにも外人臭くてたまらないと思った。 オウム事件に知はどのように取り組むべきなのか。この問題について言えば、判決が出たといってなにかが変わるわけではない。私に残されたこの問題の意味については、極東ブロ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く