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ブックマーク / cruel.org (79)

  • Hiroo's Articles in Takarajima Index

    宝島系の雑文インデックス 最初に『宝島』に書いたのは、柳下毅一郎せんせえの引きがあって、ドラッグ特集とかでいろいろクスリについて書いたとき。あと、山形の唯一の小説(もどき)ってのも、ここで書いたんだけれど。タイ人の女の子が臓器を売って、人工臓器の放熱器が脇腹にあってそれで水商売すんの。さいばぁぱんくぅ。おーぼえはあまりうるわしくなかったようで、その後は音沙汰なし。 別冊宝島に書くようになったのは、それとはまったく別の系列で、もともと翻訳で P・J・オロークとジェームズ・ブラウンのときに仕事をさせてくれた井野さんがこっちに移ったから。毎回思うんだけれど、ぼくの書くのはやっぱ頭でっかちで、別冊宝島のほかの文のもってる、現場のにおいがプンプンするような具体性に欠けてるから浮いてる。 香山リカ:思いつきの垂れ流し(別冊宝島 Real 43 『まれに見るバカ女』2003 年 02 月pp.120-1

  • City Road At Random Reviews

    業は地域開発関連調査だが、不況で貧乏暇なし。下落するボーナスの補填に、休みの旅行副業のネタに、小銭稼ぎに精を出す。おかげでこの冬は訳書が 4 冊。これで年が越せる。さてこの欄はしばらく旧刊や日陰のを扱う。いまでこそ意義を持つってのがある。そいつらにいい目をみせてやりたいからね。 1992.12 #1 「完璧な旅の覚醒剤小説 ――『イビサ』村上龍」 1993.01 #2 「たぶん、若さと自由と敗北と ――『夢の言葉・言葉の夢』川又千秋」 1993.02 #3 「神話を抜け出せ ――『ふくろう模様の皿』アラン・ガーナー」 1993.03 #4 「進化の果ての自由の敗北 ――『身ぶりと言葉』アンドレ・ルロワ=グーラン」 連載 #1 1992.12 「完璧な旅の覚醒剤小説 ――『イビサ』村上龍」 「旅人だけが場所への視点を持つ。住民には視点はなく、かれらにとっての場所とはむしろ生活感にまみ

  • Hiroo's Articles in "City Road" Index

    City Road の文章 若い子たちは知らないだろう。その昔、「ぴあ」と張り合ってた「City Road」という雑誌があったのを。「ぴあ」は隔週刊で(とちゅうで週刊になったが)、CR は月刊で、お金のない高校生は 200 円を惜しんでシティロードを買って、恵比寿地球座(日で最後のオール木造映画館だったのだ)の「女教師」シリーズ三立をいっしょうめんめい見に行ったのである。ところでこの種の成人映画では「女教師」は「じょきょうし」ではなく「おんなきょうし」と読むのだ。これもシティロードの映画索引をみてておぼえたこと。 「ぴあ」の魅力はなんといってもはみだしで、いまのはみだしは、ほんとにどうしようもなく間延びしててつまらないけれど、10 年前のはみだしといったら、それはそれはもう、抱腹絶倒のギャグの純粋爆笑エキスのかたまりみたいなものだった。一方、シティロードはコラムがよかった。秋鉄次の「

  • Yamagata Dojo in CYZO 2008/11

  • Yamagata Dojo in CYZO 2008/9

  • Yamagata Dojo in CYZO 2008/03

  • Yamagata Dojo in CYZO 2007/06

  • Yamagata Dojo in CYZO 2008

  • ポル・ポトをめぐる本多勝一 - 山形浩生 Yamagata Dojo in CYZO 2007/12

    要約: 多勝一はかつてポル・ポト政権を賞賛していており、そしてベトナムの情報をそのまま垂れ流すことで事たれりとしていた。でもかれは純粋に社会主義を信じ切っていて、社会主義同士が争うなんてことが理解できなかったらしく、一時は明らかに困惑しきっていた。かわいそうに。そのまま自分の軌跡を見直すことなく、いまのだらしない姿に堕してしまったのは残念だが。 しばらく前から、ポル・ポトの伝記翻訳の最後のゲラチェックに入って、ついさっきそれを送り返したばかり。来年早々にはになるんじゃないかな。 さてその中で、日におけるクメール・ルージュ報道についてちょっと調べていたんだが、そこでどうしても出てくるのが、多勝一という人物だ。 誌の読者に、多勝一といってどれだけなじみがあるのかはわからない。今だと週刊金曜日の編集委員として一番有名なのかな。日を代表する左翼ジャーナリストの一人で、クメール・ルージ

  • Yamagata Dojo in CYZO 2007/09

  • Yamagata Dojo in CYZO 2007/08

    要約: 前号に続き、もし人間関係の希薄化が有害で、それに対する公共政策が必要ということなら、たぶんそれは監視社会を促進することになるだろう。隣の人とは関係ないけれど、どこかからモニタでは監視されている――それが人間関係の代用品として機能するわけだ。やがて人は、監視されることに喜びとぬくもりを覚えるようになるかもしれない。 前回、人間関係の希薄化を嘆く論調についてコメントしたのだけれど、人間が社会的な生物である以上、何らかの人間関係は保たざるを得ない。濃い人間関係に基づく相互扶助――そして相互監視――がいろいろな面で社会的なコストを下げているのも事実だ。それをみんながわずらわしく思うなら、それに代わる何かは必要だ。あなたがどういう状態にあり、どこにいて何をしているか、だれかが何らかの形で大まかに知っているような状況を作り上げることが必要になる。 そして密な人間関係がそれを担えないのなら、それ

  • Yamagata Dojo in CYZO 2007/07 山形道場 第 98 段 今月の喝! 「国民生活白書」の人間関係希薄化 (『CYZO』2007 年 07 月) 山形浩生

    要約: 国民生活白書が人間関係の希薄化に警鐘を鳴らしているんだけれど、でも多くの人は人間関係の濃厚さをいやがっている。人間関係が濃厚ということはプライバシーがないということだし、また近所の子供に声をかけたり家にあげたりするだけで逮捕される状況は、むしろ希薄化を促進するようになっている。 先日、「国民生活白書」なるものが出て、人間関係の希薄化に警鐘を鳴らしている。それが地域や経済に深刻な影響を与えるといって。何をいまさら、という気がしたのはぼくだけではないだろう。だってその「人間関係の希薄化」とやらは、まさにあなたたちが――つまりは当の国民自身が――望んできたことなんだから。 豊かで深い人間関係というと、聞こえはいい。友情、連帯、人と人とのつながり、信頼――共に悩み、ともに生きる社会のきずな。かっちょいい言い方はいくらもある。でも実際の深い人間関係は、多くの人にとって面倒なものだ。家族ほどう

  • Yamagata Dojo in CYZO 2007/06

    要約: クリエイティブ階級という芸術家だの大学だのを呼べば都市がハッテンするという話があって、うさんくさい話で、駅弁大学を作ってもハッテンしなかった日の地方都市はなんというかな。ちなみに、それと関連してゲイを呼べば都市がはってんするという話もある。 ガーナから帰ってみると、リチャード・フロリダ『クリエイティブ・クラスの世紀』邦訳が出ているではないか。驚いた。 この著者の説、都市計画屋や都市再生屋などの間では、原書刊行当時からかなり話題にはなっていた。主張は単純明快。この人は、いろんな都市の経済発展を調べた結果として、都市にクリエイティブ階級の人が集まるようになると、その町は成長するのだ、という説を打ち出した。クリエイティブ階級って何? アーティストとか作家とか大学教授とかプログラマとか各種知的労働者とか、創造性のある人たちなんだそうな。もちろん、因果関係が逆だろうという批判はある。そのク

  • Yamagata Dojo in CYZO 2007/1

    要約: 世界のミクロ国家は冗談みたいなところも多いけれど、なぜそこが国にならなくてはならなかったかという意志の存在を如実に感じさせてくれる。その意志が愛国心というものの根幹ではある。単に国を愛せと教えるのではなく、なぜ日が日としてまとまっているのかを教える、という意味での愛国心教育は、日が日として存続するために必須だし、その重要性は今後移民が増えるにつれてますます高まる。 最近お気に入りのが、オーストラリアの世界的ガイドブック会社ロンリープラネットが出している『ミクロ国家ガイドブック』。久々にガイドブックを読みつつ見果てぬ地に思いをはせる体験をしたと同時に、いまぼくたちのいる足下のこともいろいろ考えさせられるにもなっている。 これは世界の小国を集めただ。小国といっても、モナコやバチカンみたいなレベルの小国じゃない。海の中の支柱一つとか(前にこの欄でふれたシーランドだ)、町一つ

  • Yamagata Dojo in CYZO 2006/08

  • Yamagata Dojo in CYZO 2006/05

  • Yamagata Dojo in CYZO 2006/01

    要約: 身障者がかわいそうだから、なんか彼らにスーパーマン的な力を与えるような奇跡が必要だとか、現実的な解決策を考えるだけでは不足だと騒いでみたりする哲学者は決定的に想像力が欠けているし、そんなマンガみたいな奇跡が政治経済で実現できると思っている点でまったく常識が欠けているのだけれど、それをほめる人がいるというのもゲンナリさせられることではある。 こんな文章がある。 「ならば、尋ねよう。車椅子抜きでは動けない人間、人工呼吸器を使用する人間、病院や施設に拘束されている人間がいる。そんな人間の移動の自由を確保するために、何が必要になるかを諸君は真剣に考えたことがあるのか。(中略)そもそも、諸君は、自由と潜在能力について気で考えてきたのか。いつだって現状の政治経済とのトレード・オフを口実にして誤魔化し続けてきたのではないのか。(中略) われわれが願っているのは奇跡である。車椅子がスポーツカーよ

  • Yamagata Dojo in CYZO 2004/11

    すでに旧聞だろうけれど、マイケル・ムーアの『華氏九・一一』を見てきましたよ。いろんな人が奥歯にもののはさまったような物言いをするから、つまらないのかと思ったら、いやすばらしくおもしろいじゃないか。『ボウリング・フォー・コロンバイン』には劣るとか、前半が説得力ないとか、ネットでハンチクな批評をあれこれ読んだけど、何を言ってるんだ。あの主演男優のスーパーぼけ演技は、『コロンバイン』にはなかった求心力を作品に与えていたし、『コロンバイン』の強引さ(軍需工場と学校乱射事件の関係をにおわせた部分もそうだし、労働者の待遇問題の部分は浮いていたし)に対して今回はすべてがきっちりかみ合っている。論証が十分でないとかデマだとか、聞いた風な口をきくレビューもたくさん見たけれど、そういう連中は一人として自分では証拠をチェックしたわけじゃないのだ。ポール・クルーグマンのコラムでも合わせて読んでごらん。多少勇み足は

  • Yamagata Dojo in CYZO 2004/08

    先日拙訳で出ました『Free Culture』のレッシグ教授からつっつかれて、日アニメがいかにアメリカではやるようになったか、という論文を翻訳してみたのだ。これはなかなかおもしろい。MITのアニメ研OBショーン・レオナルドの論文なんだけれど、その主張とは要するに、日のアニメ会社はほとんど何もしなかった、ということだ。アニメ受容の下地を作り、自腹を切って知り合いにそのおもしろさを広めたのは、アメリカ全土のファンたちだった。かれらは勝手に海賊コピーのテープを作って大量に流通させ、アニメ改宗者を増やしていった。さらに一部の子たちは勝手に字幕までつけて、ファン増大に貢献。そして、そういう下地があればこそ、アメリカでアニメは受容されるようになった。いままで何も知らなかった人たちがある日いきなり『もののけ姫』を見てアニメに目覚めたわけじゃないのだ。ついでながら、この論文はインテリの好きな『ファンタ

  • Yamagata Dojo in CYZO 2004/08|レッシグVSレヴィ=ストロース

    もう二〇年も前だったか、渋谷陽一のサウンドストリートで、中国奥地のパンクバンド、ドラゴンズの「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」を聴いたことがある。かれらは受信状態の悪い短波放送でセックス・ピストルズを聴き、「なんかとりあえずワーワー言えばいいらしい、これならおれたちにもできる」と言って、とりあえずワーワー言うだけのスゲー楽隊を作ってしまったのだった。 その後かれらがどうなったのか知らない。でももし当時かれらの手元にあるのが短波放送ではなく、ネット経由のファイル共有だったら。ノイズとフェージングまみれではなく、クリアな音でセックス・ピストルズを聴いていたら。そしたらどうだったろう。たぶん、かれらはわざわざ自分でドラゴンズを作らなかっただろう。そしてかれらのまわりの人も、できそこないのドラゴンズなんか聴くかわりに、元のセックス・ピストルズを聴いただろう。つまりかれらには創造するインセンティ