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斎藤環に関するmasakimaruのブックマーク (4)

  • 書籍出版 双風舎:【連載】齋藤環と茂木健一郎の往復書簡「脳は心を記述できるのか」

    <茂木健一郎から斎藤環への手紙> ■不同意であることを同意する 斎藤環さま。 とても興味深いお手紙を、ありがとうございました。 私たちの祖先は、アフリカで誕生し、それから世界各地に散らばっていったと考えられています。遠くへ、もっと遠くへと赴こうとするのは、どうやら私たちの能のようです。物理的空間だけでなく、概念の世界のなかにおいても。できるだけ、遠くにいくには、どうすればよいか。斎藤さんの議論を拝読しながら、なぜかそんなことを考えていました。 議論をするということの意味は、いったいなんでしょう? 斎藤さんは、依然として私の観点の多くに同意できないといわれる。私は、それでもよいのかもしれないと思います。そもそも、多様性を育むことをよしとする現代において、共感とか同意などだけに価値を置く必要はないと考えるからです。 むしろ、お互いの立場がどれほど離れているかを確認する。そうして、とりあえずは

  • 書籍出版 双風舎:【連載】「脳は心を記述できるのか」

    茂木健一郎から斎藤環への手紙 ■拝復 たいへん興味深い手紙をありがとうございました。斎藤さんがあげられた問題は、どれも私の関心領域(意識の問題)の質にかかわる、エッセンシャルなものと考えます。 お返事を差しあげるまでに、ずいぶんと時間がたってしまい、申し訳ありません。この間、斎藤さんとの往復書簡のことがずっと気にかかっていましたが、さまざまな事情から、ご返信が遅くなってしまいました。心からお詫び申しあげます。 斎藤さんがお手紙のなかでご指摘くださったさまざまな点は、たいへん興味深いことばかりでした。斎藤さんは、「クオリア」を疑いのないこの世界属性として立ててしまうことが、ナルシシズムにつながると書かれた。昨今のいくつかの危険な社会的風潮との関連性も指摘された。また、ジャック・ラカンの「我思う、または、我は在る」という言葉を引用して、(クオリアを感じる主体としての)「私」は、確固とした単一

  • インタビュー・精神科医 斎藤環さん 絆を求めて

    引きこもりについて講演する斎藤環さん 【プロフィル】1986年、筑波大学卒。千葉県船橋市の佐々木病院で引きこもりの治療に取り組み、1998年「社会的引きこもり」(PHP新書)を出版。 「引きこもり」は、厚生労働省の対策ガイドライン作成に象徴されるように、社会問題として位置づけられた。この現象にどう向き合い、解決の道を切り開いていけばいいのか。「全国引きこもりKHJ親の会」(事務局・埼玉県岩槻市)の奥山雅久代表発起人と、関東地区でこの問題に取り組む精神科医、斉藤環さんに話を聞いた。二回に分けて紹介する。 ―「社会的引きこもり」とは、どういう状態でしょうか 斎藤 (1)非精神病性である(2)六カ月以上社会参加していない(3)二十代後半までの発症―と定義しました。でも現在は、(3)の年齢制限を外しています。三十代で発症する人も増えてきましたからね。 ―「社会的」という意味は 斎藤 家族

  • 斎藤環と茂木健一郎の往復書簡「脳は心を記述できるのか」 第1信 「価値のクオリア」は存在するか?(斎藤環)

    斎藤環から茂木健一郎への手紙 はじめまして。 はじめておたよりします。斎藤環と申します。 茂木さんの著書は何冊か読ませていただきましたが、その精力的な活動のすべては、とうていフォローし切れていない点をまずお詫びいたします。 そのかわりといってはなんですが、妙なエピソードからはじめさせていただきます。 じつは私は、茂木さんとこれまでに何度かニアミスしているんですよ。たとえば、私は2006年の夏休みにフライブルクに行ったんですが……(といえばピンと来るかも知れませんね)、ルフトハンザ機内で私たち家族の斜めうしろに茂木さんが座っておられました。驚いたのは、往路だけならまだしも、復路の機内でもほぼ同じ位置関係で、なんというか、この「偶有性」には驚かされました。思えばあの時点で、この企画は萌芽的かつ徴候的に成立しつつあったのかもしれませんね(笑)。 私の茂木さんへの親近感はこれに留まりません。私たち

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