空気が読めない(KY)という言葉が若者の間で流行っているようだ。KYを空気が読めるとも読んでもいいと思うが、否定形で読んで、KYは空気の読めない人ということになるらしい。 空気を読むのは世の中を無事に渡っていく上では必要な技術だろうが、大人が、言葉で子どもや若者に求めていることは、自分で考え、個性を発揮し、生きる力を身につけ、独創的な知を生み出すことだ。 昨年12月初めに公表された、国際学力調査で、日本の子供の学力が低下したことについての識者のコメントも、学力の底上げと応用力を引き上げるには、トップのフィンランドに習い、教員の数を確保するとともに、その質を上げ、考える教育をすることが必要だなどというようなものが多かった。私などは単純に、ゆとり教育世代の学力が低下したのだから、ゆとりを止めて、つめこみに戻せば良いのではないかと考えるのだが、そういう論調は少なかった。 しかし、大人の識者の考え
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