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  • 即身仏:厳しい修行の果てに涅槃(ねはん)を目指したミイラ仏

    これらの即身仏を護持しているのは、いずれも江戸時代に湯殿山信仰の拠点となった寺院である。湯殿山の御宝前(ごほうぜん、明治以降は御神体)は山そのものでなく、温泉の湧き出る巨岩。温泉に含まれる鉱物が固まった「温泉ドーム」と呼ばれるもので、湯殿山は古来より出羽三山の奥の院として崇められてきた。 1641年に羽黒山が天台宗に統一されて以降、出羽三山では天台宗と真言宗の対立が深まった。徳川幕府の公認を得て巨大な勢力となった天台宗に対して、真言宗側は寺社奉行に訴訟を起こして、「三山のうち、羽黒山・月山は天台の山、湯殿山は真言の山」という裁定を得た。 即身仏となったのは一代限りの修行者を意味する一世行人(いっせいぎょうにん)で、門前集落の出身ではなく、外部から来た下層の宗教者である。真言宗側は、湯殿山で一世行人を修行させることで宗教的能力を体得させ、布教の前線で活動させて天台宗に対抗した。江戸時代に庄内

    即身仏:厳しい修行の果てに涅槃(ねはん)を目指したミイラ仏
  • 人口2万人の街で10万冊の書店が成り立つ理由―北海道の留萌ブックセンター(下)

    人口減と出版不況。ふたつの「負」を打ち返すように10年続いてきた北海道留萌市の留萌ブックセンター。売り上げが予算を割ったことはない。地域の人と書店員の思いを重ね合って続いてきた10年の物語。 東京・神保町にある三省堂書店店を訪ねたのは、留萌から戻った翌月、5月半ばの朝だった。留萌市で誘致活動が起こった当時の札幌店長に話を聞くためだ。その人は、応接室に資料の積み上がった書類箱を抱えるようにして現れた。常務取締役の横内正広さんだ。 横内さんは留萌の人たちの熱意が三省堂書店の役員会議を動かした経緯を、時折資料を示しながら詳細に振り返った。90分の取材が終わりにさしかかった頃、その横内さんが思いがけない言葉を口にした。 「あれはほんとうに予想外でした」 横内さんは、腕組みをしてもう一度、同じ言葉を繰り返した。 「確かに私は開店時に言いました。2、3年経って、もし赤字になったら撤退することもあり得

    人口2万人の街で10万冊の書店が成り立つ理由―北海道の留萌ブックセンター(下)
  • 本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上)

    人口2万5千人の留萌市から屋が消えたのは2010年12月。それから7カ月後、人口30万人以上でないと出店しないルールを持つ三省堂書店が出店した。それはどうしてだったのか。 4月だというのに、その日は雪がちらついた。地元の人は5月の連休が明けるまではスタッドレスタイヤを外さないという。ゆったりとした坂道を登りつめると、眼前に日海が広がる。北海道の西端にある留萌の海岸からは水平線の下へと沈むまん丸で真っ赤な夕陽を見ることができる。 留萌の坂道 美しい地名はルルモッペ(=潮の静かに入るところ)というアイヌの言葉に由来する。明治期ににしん漁により港町として留萌の地が拓けた。炭鉱業も栄え、1910年には留萌線が開通、続いて1932年には留萌港が竣工した。 昭和の頃、正月ともなると、新年を祝う人たちがこの坂道をぎっしりと埋め尽くしたものですよ。 タクシーの運転手が問わず語りに聞かせてくれた。通り

    本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上)
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