あのポスターが唯一掲示されていたのは、会場の最寄駅である「JR美濃太田駅」ただ一駅だけだ 「会場の最寄駅にしかないポスター」は、そもそも既にゾーニングされていた筈である わざわざ「JR美濃太田駅」に行かなければ見られないポスターは、あの程度の性表現ならば、既に十分なゾーニングがなされていたと考えられる 批判者側の「駅は公共性がある」とは、一体何を根拠とした基準なのか? 「公共」等と言うなら、そもそも家から一歩出れば全ては公共であり、「表現が許される場所」など失くなるのではないのか ならば本屋やレンタルショップも「公共」になるはずだ 追記に書いたが、「ハードポルノ」でさえなければ、「ソフトポルノ」であっても、本屋やレンタルショップで暖簾分けする必要はないのである 結局、今回の問題は「ゾーニングの範囲」が曖昧なために、後から恣意的に拡大すればどこまでも取り締まれるという「ゾーニングの問題」を浮