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インターネットに関するmasarin-mのブックマーク (2)

  • 悪くいうメンションが20%を超えないネットライフを心がける - シロクマの屑籠

    (※画像は悪くいうメンションが高まりすぎたネットライフのイメージです) これから書くことは、以前にも書いたかもしれないし、20%という数字も思いつきのものだ。厳しい基準を好む人は10%で、緩い基準がいい人は30%にしてもいいかもしれない。 twitterはてなブックマークやヤフーニュースのコメント欄では、誰かを悪くいうメンションをたくさん見かける。そのなかには的を射た批判と言って良いものもあれば、感情的な罵倒と言って良いものもある。当否はともかく、そういう誰かを悪く言うメンションや、誰かにネガティブな評価を表明するメンションが現在のオンライン世界には溢れている*1。 2010年代のいつ頃からか、そういう悪くいうメンションを少しずつ避けるようになっていった。全部遮断するわけではないし、私自身がそういうメンションをすることがなくなったわけでもない。でも、自分のメンションのうち(誰か・何かを)

    悪くいうメンションが20%を超えないネットライフを心がける - シロクマの屑籠
    masarin-m
    masarin-m 2021/05/05
    コロナ禍のせいか、元々世の中を面白く切っていた人も、なかなか辛辣な言動を取るようになっていて始末に困る。「こんな人じゃなかったんだけどな」と思うことしきり。あと、我々はどうひっくり返っても若くないよ
  • フィクションの薄暗い欲求を現実に持ち込まないために - libsy

    おそらくは誰でも、可哀想なものや倫理規範に反するものへの薄暗い興味を持っていると思います。私も作品で悲壮な場面は書きますし、それは悲壮な状況に関心があるから書いています。ただ、自分で可哀想なものを書くときには、悲壮感をフェティッシュで片付けないようにしています。 これに関しては精神論めいた結論になってしまいますが、興味(またはフェチ「萌え」)を持つからには「当事者意識を持たなければならない」と考えています。 たとえば現実で合意のない暴力(ネットスラングで「リョナ[1]」)を振るってはいけないのは当然です。しかし、フィクションのリョナを読者として楽しむときも、「現実では望まない暴力をうけて苦しんでいる存在がある」ことの自覚は忘れない方が良いと思うのです。 性暴力の被害者が、自分が受けた暴力について思い出されたり、性暴力を肯定する作品を見て傷つくことを「セカンドレイプ」といいます。[2] たぶ

    フィクションの薄暗い欲求を現実に持ち込まないために - libsy
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