いつから気になりだしたのか、もう定かでないが、どうしてもわたしは「関係性」という言葉が気になる。論文やエセーや小説で目にするたび、本当なら「関係」と言うべきところを「関係性」と言っているだけのような気がしてならない。もしそうだとしたら、なにがわたしたちにそれをためらわすのか。そのためらいにはどんな力が働いているのか。 そもそもわたしたちは、名詞のあとに「的」に負けないくらいなにかと「性」をつけたがる。歴史的背景をわたしはまったく知らないが、もしかしたら「男性」「女性」からしてそうなのかもしれない。使用している意味からすれば「男」「女」でいいはずなのに、なぜか「男性」「女性」と言い、さらにその「性」を問いたいときは「〈男性〉性」「〈女性〉性」などとめんどくさい表記をしなければならないことも受け入れている。 では「男/女」と「男性/女性」の違いはなにか。「あいまいさ」の度合いであるとわたしは思