直属の上司は外国人――。そんな職場はもう日本の会社でも珍しくないのだろう。それを職場の国際化というのなら、サッカーはJリーグが1993年にスタートしてから猛スピードでそちらの方向に突き進んできた。そして、外国人上司に仕えた経験を生かして、独り立ちする優秀な日本人の部下も出てきた。昨季のJリーグ王者、広島の森保一(もりやす・はじめ)監督もそんな一人である。■Jリーグ王者になった日本人監督は7人だけ
窪田順生氏のプロフィール: 1974年生まれ、学習院大学文学部卒業。在学中から、テレビ情報番組の制作に携わり、『フライデー』の取材記者として3年間活動。その後、朝日新聞、漫画誌編集長、実話紙編集長などを経て、現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌でルポを発表するかたわらで、報道対策アドバイザーとしても活動している。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。近著に『死体の経済学』(小学館101新書)、『スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)がある。 桜宮高校バスケ部の主将が自殺した問題で、同じ学校の生徒たちが会見を開いた。その背後に“こすいオトナ”はいなかったのか(写真と本文は関係ありません) 先週、バスケ部主将が自殺した桜宮高校の運動部のキャプテンだった3年生たちが記者会
桑田、松坂など例外はあるが、甲子園優勝投手で大成した者はほとんどいない。誰もが認める才能の持ち主が、花を咲かせられないのはなぜなのか。失意のアスリートたちが口にしたのは「心」だった。 なぜ与四球がゼロなのか 「高校野球史上、最も美しい」と絶賛されたオーバースローのフォームを、プロ入り3年目でスリークォーターに改造。これが彼の投手生命を絶った。 「コーチの勧めで変えたのですが、体に負担がかかっていたらしく、二軍での試合中にブチッと音がして、軟骨剥離を起こしてしまったのです」 そう語るのは'86年、ほとんど無名だった東亜学園(西東京)を2年生エースとして甲子園に導いた川島堅(43歳)だ。 この年こそ初戦で米子東に敗れたが、翌年は堂々ベスト4入り。34回3分の2イニング連続無四死球という抜群の制球力が光った。 '88年、ドラフト1位で広島に入団。将来のエースとして期待されたが、冒頭のケガの影響は
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