かつてジュビロ磐田の黄金期を築いた鈴木政一監督率いるU−19日本代表が、ミャンマーの地で開催されたAFC・U−19選手権準々決勝で北朝鮮にPK負けを喫し、4大会連続でU−20ワールドカップ(W杯)を逃すことになった17日。日本のユース世代が初めてアジアを突破して世界の舞台を踏んだ1995年ワールドユース(カタール)の戦士で、磐田時代の鈴木監督にとって秘蔵っ子だった奥大介が急逝するという悲報が、皮肉にも飛び込んできた。 「神戸弘陵高校からジュビロに入団した頃、トップチームのハンス・オフト監督になかなか認めてもらえなかった大介を鍛えたのが、サテライトの指導をしていたマサさん(鈴木監督)でした。グランドを転々としながらのジプシー生活でしたが、大介は文句1つ言わずに黙々とトレーニングに励んでいた。そんな彼をマサさんも特にかわいがっていました」と当時、磐田のフィジカルコーチだった菅野淳氏(現FCソウ