2011年、日本はFIFAの国際大会で初めて優勝を遂げた。なでしこジャパンがドイツワールドカップ決勝でアメリカをPK戦の末くだしたのだ。指揮官は佐々木則夫。2007年12月、監督に就任して4年で世界の頂点に立った。 高校時代は帝京高校のキャプテン。明治大学時代は、後に日本代表の10番を背負う木村和司と同期。だが大学を卒業するときはまだ日本にプロサッカーは誕生しておらず、佐々木は社会人サッカーの道に進む。 そこではサッカー部存続の危機もあった。チーム作りに奔走する時期もあった。そして家族の病気で心を痛める日々も続いた。そんな大きな「転機」をいくつも乗り越えながら先に進んだ佐々木だからこそ、幸運が微笑んだのかもしれない。 【取材:日本蹴球合同会社・森雅史/写真:浦正弘】 「1シーズンだけサッカーをやらせてくれないか」 私は現役を33歳までやってたんですよ。大学を卒業して日本電信電話公社に入社し
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