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ブックマーク / nikkan-spa.jp (5)

  • 青山裕企氏直伝「女のコをかわいく撮る3つのコツ」 | 日刊SPA!

    デジタルカメラの進歩により、誰もが簡単に美しい写真を撮れるようになった。しかし、プロのカメラマンが撮った写真は、なぜあんなにも人の心を動かすのだろうか? その秘密を探るべく、写真集『スクールガールコンプレックス』などを上梓し、女のコをかわいく撮ることで知られる青山裕企氏によるワークショップ『空想女子校撮影会!!』に参加した。日々コスプレイヤーやコンパニオンを撮影している記者も「もっと女のコをかわいく撮りたい!」という想いを胸に、青山氏が明かしたテクニックの一部を実践。青山氏が撮影した撮影例とともに、かわいく女のコを撮るコツを紹介しよう。 ワークショップは、まず参加者がモデルを1人1分で撮影、その後青山氏の講義を挟んで、もう1度撮影という流れで行われた。具体的なカメラの設定などには触れず、あくまで心構えや構図の作り方がメイン。なかでも記者が特に劇的変化を感じたのは下記の3点だ。 ◆背景よりも

    青山裕企氏直伝「女のコをかわいく撮る3つのコツ」 | 日刊SPA!
  • 苦節8年なでしこライター「“宝くじ”を買いつづけていてよかった」 | 日刊SPA!

    連日報道が続くなでしこJAPAN。誌8/2号でも「清貧の極み!なでしこJAPAN快進撃の裏側」で彼女たちの厳しい環境をお伝えしたが、長年なでしこを追い続け、記事にし続けてきた取材記者の”苦労”はあまり知られていない。メディアに注目されるはるか前から、記事にし続けてきたライターの裏話をお伝えしたい。 「えないし、『そろそろ足を洗おうかな』と思っていた矢先の“事件”。今、『辞めずに“宝くじ”を買い続けてよかった』というのが率直な感想です(笑)」 と安堵の弁を述べるのは、なでしこたちを足掛け8年、愛情を持って、時には厳しい目を持ち、追い続けてきたサッカーライターの江橋よしのりさんだ。 江橋さんのサッカーライターになるきっかけが奮っている。 「8年前、澤穂希のプレーを初めて見た時、その気迫にただただ圧倒されて……。直感的に、『この人をちゃんと見届け、伝える人がいないとダメだ!』と思ったんです」

    苦節8年なでしこライター「“宝くじ”を買いつづけていてよかった」 | 日刊SPA!
  • 伊良部秀輝の“遺言”「日本に帰りたいです。英語も話せないし」 | 日刊SPA!

    ― 伊良部秀輝の“遺言” 【後編】 ― ←【中編】はこちら ――ヤンキース、エクスポズ、レンジャーズ、そして阪神タイガースの一員として日に戻りました。星野監督から声を掛けられたんですよね? 伊良部  その前の年、エコノミー症候群でリタイアして、半年間リハビリが必要だったんです。それなのによく呼んでくれたなぁと。 ――星野さんと面識は? 伊良部  なかったです。 ――阪神ファンだったんですか? 伊良部  育ったのが尼崎だったんでね、周りがそういう環境ですから。あの歌、「六甲おろし」もまた盛り上がるような歌じゃないですか。 ――帰国して戸惑いはありました? 伊良部  なんでこんなにボールが飛ぶんかなと。今年からはだいぶましになったんですか? 当時はすごかったですよ。打球が速くなるんです。ショートゴロを打たせたはずやのに、なんで三遊間抜けるのって。 ――阪神では、03年に13勝を挙げて、チーム

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  • 伊良部秀輝の“遺言”「縦の変化球で勝ち続けたのは野茂さんだけ」 | 日刊SPA!

    ― 伊良部秀輝の“遺言” 【中編】 ― ←【前編】はこちら ――伊良部さんが最初にメジャーリーグを意識したのはいつ頃ですか? 伊良部  中学生のときかな。テレビで、サチェル・ペイジ(※5) というピッチャーが亡くなったときの特番を見て度肝を抜かれました。長身のピッチャーで、鞭のようにしなる体。ものすごい細いんだけれど、全身を使って投げる。これはただ者ではないと。あんなふうに投げたいと思って、さんざん真似しました。ロッテに入ってからも最初の6年間ぐらいは、彼のように投げたいと思っていましたね。彼以外でも、ぼくと同じぐらいの上背のピッチャー(身長190cm)がどのように体を使うのかを研究しようとすると、日にいないので、どうしてもメジャーのピッチャーになってしまうんです。グッデンとかクレメンス(※6)とか。 ――当時はメジャーリーグの映像はなかなか見られませんでした。どうやって研究したんですか

    伊良部秀輝の“遺言”「縦の変化球で勝ち続けたのは野茂さんだけ」 | 日刊SPA!
  • 伊良部秀輝の“遺言”「父親がアメリカ人とは知らなかった」 | 日刊SPA!

    野球界のみならず、伊良部秀輝さんが亡くなったという知らせは、日中に衝撃が走った。誌は、伊良部さんが亡くなる約1か月前、彼が静かに暮らすロサンゼルスにて、4時間にわたり現在の心境を聞いた。謂わば“遺言”ともいえる渾身のインタビューを全文掲載する。 この最後となってしまったインタビューは、ジャーナリストの田崎健太氏が行った。 ――今でこそ、メジャーリーグで日人がプレーするのは普通になりました。1997年に伊良部さんが移籍したときは、大騒動になりましたよね。 伊良部  「伊良部問題(※1)」って当時は言われましたけれど、あれは当に伊良部の問題だったのかって言いたかったですよ。日米の法律の問題で、パドレスとロッテの問題でした。 ――ロッテからパドレスへの権利譲渡(※2) はテレビのニュースで知ったとか。 伊良部 そうです。テレビを見ていたら、パドレスの社長とロッテのオーナーが握手をして、パ

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