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ブックマーク / www.soccerdigestweb.com (9)

  • ハリルが独占告白!いまだから明かす「日本文化」「ベルギー戦」「協会」への本音 | サッカーダイジェストWeb

    ヴァイッド・ハリルホジッチがFCナントを再興するのに要した日数は、たったの40日だった。 10月初旬に招聘された際の順位は19位。ところがナントはいくつかのスペクタクルな勝利を収めながら、一気にリーグアン10位にまで上昇したのである。サポーターの動員もグッと増え、スタジアムには興奮と熱狂が蘇った。 1日に12~15時間も働くヴァイッドは新たなチャレンジに没頭するため、気が散らないように当初はすべての取材要請を拒否。そして11月中旬になってようやく『France Football』誌の要望に応え、初めてインタビューを受諾した。 こうして私は国際代表マッチウィークに、彼とパリで再会できた。ヴァイッドは自分の選手たちに2日間の休暇を与えていたからだ。再会の舞台はパリ8区にあるイタリアン・レストラン。彼の馴染みの店である。 そこでヴァイッドは、仕事に就いているときはいつもそうなのだが、すっきりした

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  • 【現役の眼】元日本代表MF、橋本英郎が見極める「日豪決戦、勝負を分けたポイント」 | サッカーダイジェストWeb

    鮮やかなミドルをねじ込んだ井手口を長友が祝福。指揮官が若手の力を信じ切った結果と、橋は称える。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部) 画像を見る ワールドカップ出場おめでとうございます! みなさんの応援の力が、ホームで出場を決めるという最高の結果につながったのだと思います。 ということで今回は、ワールドカップ出場を決めたオーストラリア戦について書こうと思います。 これまでワールドカップ予選で勝ったことがない相手で、この一戦を落とすと大会出場が危ぶまれるという緊張感のある試合。戦前はどちらかというと、不安視されていたような気がします。そんななか、日はどのようにして勝ちにつなげられたのか。そのあたりを僕なりに分析していこうと思います。 試合のポイントとなったのは3つ。 ひとつ目は、スカウティング力。ヴァイッド・ハリルホリッジ監督、コーチ、スタッフ陣は当によくオーストラリアを分析し

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  • 【横浜】新10番・齋藤学が輝くためには――不可欠な金井貢史という盟友の存在 | サッカーダイジェストWeb

    浦和戦では齋藤に何も好パスを通した金井。「今日は点にならなかったけど、シーズンを通して、何点か取れるようにしていきたい」。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部) 画像を見る [J1リーグ開幕戦] 横浜F・マリノス 3-2 浦和レッズ/2月25日(土)/日産スタジアム 学年はひとつ上だが、同じ90年生まれで、横浜のジュニアユース時代からともにプレーする。07年のU-17ワールドカップにも一緒に出場した。だから、「(齋藤)学がやりたいことは分かっている」。 金井貢史――SB、CB、ボランチをこなす守備のマルチロールは、浦和との開幕戦では左SBで先発フル出場を果たす。敵の駒井善成や関根貴大と激しい攻防を繰り広げながら、ひとつ前にポジションを取る齋藤には好パスを何も通し、チャンスをお膳立てした。 「あいつが良い動きをしていたから。“出させられている”っていう部分もあるし」と金井は謙遜する

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  • 泣くことすらできない病… 森﨑浩司の凄絶なサッカー人生に恩師ミシャはどう寄り添ったのか? | サッカーダイジェストWeb

    クラブ初の引退会見に臨んだ森﨑浩司。晴れやかな表情で17年間のプロ生活を振り返った。写真:中野香代(紫熊倶楽部) 画像を見る 恩師は、こみ上げる感情をこらえていた。言葉を発しては下を向き、唇を噛みしめ、身体は震えていた。かつての教え子であり「息子」と呼んでいる森﨑浩司の現役引退について語るミハイロ・ペトロヴィッチは、自分をコントロールすることに必死だったように見えた。そうしなければ、コメントを発することすら、できなかっただろう。 「浩司は、私が指導してきたたくさんの選手の中でも、飛び抜けたクオリティとキャラクターを持っている。戦術理解力が高く、私の要求をすぐに実践できるだけのスキルを持っていた。そして、浩司のプレーが見となって他の選手たちにも浸透していく。そういう意味でも私や選手たちを助けてくれた存在だった。 そういう浩司もミスはする。だがそのミスのほとんどは、素晴らしいアイデアを実現し

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  • 【中澤佑二セレクト】J1・500試合の中から本人が選ぶ「思い出深き5つのゲーム」 | サッカーダイジェストWeb

    第2ステージ14節の神戸戦でJ1通算500試合出場を達成。今季はここまでのリーグ戦すべてにフルタイム出場を果たしており、37歳となった今もハイレベルなプレーでチームを支え続けている。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部) 画像を見る 中澤佑二は“変化”を受け入れながら歩みを進めてきた。 「夜は22時に寝て、朝は6時に起きる。飲酒・喫煙はしない」 そうした基的な日常生活こそ“不変”だが、気がつけば今年で37歳。自身のコンディションと相談しつつ、変わらなければいけないことも増えていった。 年齢を重ねることで体質は少しずつ、しかし明らかに変わってきている。例えば日本代表を率いるハリルホジッチ監督の指導で話題になったサッカー選手の体脂肪率だが、中澤の数値も年々変化している。日本代表として地位を築き始めた20代半ばは約7パーセントに維持されていたが、20代後半になって8~9パーセントに上がり

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  • 【横浜】マリノスタウン移転の真相|「6億円」からの解放と日本一の環境を失うリスク | サッカーダイジェストWeb

    07年1月にグランドオープンしたマリノスタウン。みなとみらいの一等地に立つ同施設は充実の環境を整えているが、当初から賃貸料と維持費に莫大なコストがかかると懸念されていた。(C)SOCCER DIGEST 画像を見る みなとみらいから新横浜へ――。 5月21日、横浜は2016年5月にマリノスタウンの定期借地契約が満了となることを受け、練習グラウンドを新横浜公園内施設に移転すると発表した。同時に新たなオフィスを新横浜公園近隣地に確保し、これはクラブ事務所の機能を果たすことに。 サッカー界のみならず横浜市民にも驚きのニュースとなったが、決して寝耳に水の出来事ではない。07年1月にグランドオープンしたマリノスタウンは、完成当初から賃借料と維持費に莫大なコストがかかると懸念されていた。 当時、横浜市側はみなとみらい地区の発展を視野に、ディスカウントされた価格で賃借料を設定。今でこそマリノスタウン周辺

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  • 【横浜】ブラジル代表10番候補アデミウソンが見せた「本物」のスゴ技。待望の来日初ゴールを多角的に考察する。 | サッカーダイジェストWeb

    前節の浦和戦では、伊藤との連係から放った決定的なシュートが、浦和の阿部に間一髪クリアされた。その前の5節・仙台戦でも、ペナルティエリア内の混戦から右足を振り抜いたショットが、相手GKのビッグセーブに阻まれた。 現在発売中の「サッカーダイジェスト(5/14号)」のインタビューで、アデミウソンは「“その瞬間”は近づいてきている予感がしている」と語っていたが、その言葉どおり、いくつかの惜しいチャンスを経て、7節・湘南戦、ようやく歓喜の瞬間を迎えた。 意地の悪い見方をすれば、期待を裏切り続けた感はあるものの、名門サンパウロの出身で、ブラジルU-21代表の背番号10をつける超逸材は、やはり“物”だったと言っていいだろう。 9分、齋藤の縦パスを兵藤が右足のヒールで後ろに流す。そこに走り込んだアデミウソンがダイレクトで叩く――放たれたシュートは低い弾道で一直線に湘南ゴールに突き刺さった。 待望の来日初

    【横浜】ブラジル代表10番候補アデミウソンが見せた「本物」のスゴ技。待望の来日初ゴールを多角的に考察する。 | サッカーダイジェストWeb
  • 【取材記者の視点】鎌田のスーパーゴールを栗原はなぜ“傍観”したのか? | サッカーダイジェストWeb

    鮮やかなボレーを決めた鎌田(2番)。栗原(4番)をはじめ、横浜の選手たちは意外性のある一撃の前でなにもできなかった。写真:徳原隆元 画像を見る J1リーグ1stステージ・5節の横浜×仙台戦。67分の横浜の失点シーンは、ファビオがクリアを相手に当ててしまい、そのこぼれ球を拾ったウイルソンがセンタリングを上げると、中で待つ鎌田次郎がまったくのフリーで鮮やかなボレーシュートを決めたものだった。 すぐにリプレーを確認してみる。得点者の鎌田に対し、目の前にいた横浜のCB栗原勇蔵は“なにもできずにいた”。ボールウォッチャーになり、スーパーゴールの傍観者に――。代表経験のある歴戦のDFにしては、少しがっかりさせられるプレーだった。 ミックスゾーンでの栗原は、実に冷静だった。「周りの状況を確認しておかなければいけなかった」と反省を口にするが、一切の言い訳はしない。もっとも、話を聞けば、単なる傍観者ではなか

    【取材記者の視点】鎌田のスーパーゴールを栗原はなぜ“傍観”したのか? | サッカーダイジェストWeb
  • 【奥大介氏・追悼コラム】思い出される“大ちゃん”の原点と本質 | サッカーダイジェストWeb

    スタメン定着を果たした97年。後に世界一の監督となるルイス・フェリペ・スコラーリに見出され、ドゥンガ、サルバトーレ・スキラッチ、中山雅史といった国内外の偉大な先輩の背中を見て急成長を遂げていった。 (C) SOCCER DIGEST 画像を見る いつのことだったかは、思い出せない。 正月を西宮の実家で過ごしていた時、尼崎に帰省していた彼から誘われて、彼の地元へ遊びに出かけたことがある。待ち合わせの場所に現われた彼と、彼の友だちが運転する車で向かったのは、サッカー場だった。 当時、プロであり、日本代表でもあった彼、奥大介が地元の古い仲間たちの試合に飛び入り参加するというのだ。 「大丈夫や、絶対にバレへん」「いや、さすがにバレるやろ」「こっちのシャツのほうが目立たへんのちゃうか」 試合前から、チームメイトは盛り上がった。そして当然、奥がボールを持てば、途端にバレてしまうのだが、それでも試合は9

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