「自由には必ず責任伴う」 と言う「自己責任論」を見た。僕は、山形浩生氏という人がどんな人なのかは全く知らないが、この文章からは、野口健氏の「自己責任論」をさらに上回る強者の論理を感じる。強者の論理は、それを信奉する人たちからは全く正しい論理のように見えるだろう。しかし、これはそれを適用する対象が、強者の論理を適用するにふさわしい対象であるときだけ正しくなる論理なのである。 なぜか今の日本では、自分が強者であるいわゆる「勝ち組」にいると思い込んでいる人が多いようだが、強者の論理は、「負け組」に入る人間は、自助努力が足りないのだから見捨ててもいいのだという論理だ。強者のみが参加する場面でなら、このような論理を使うことにも意味があるが、社会というのは、強者だけが生き残ればいいという弱肉強食の世界ではない。 弱者というのも、ある価値観や基準から見たら弱者に入るというだけに過ぎないのであって、価値観