都々逸の七五調7・7・7・5、正確には3・4・4・3・3・4・5のリズムは今の日本人にも心地好く聞こえる。けれども今の日本人は都々逸を作らない。その理由は、たぶん、都々逸が主に扱ってきた男女関係というテーマにある。21世紀の私たちが詠む詩は、男女関係だと生々しさを排除した平板なものになる。これでは面白くならない。21世紀ならではのテーマが見つかれば、都々逸の復権もありえるのではないかと思うのだ。川柳がサラリーマンネタでそれなりに保たれているように、都々逸に合ったネタがほしいのだ。
論理的に考えても「女は下方婚しろ」は「低所得者にも女をあてがえ」以外の何者でもないやん いや、違うね まず「あてがう」を定義しよう。例えば女性が高所得男性と望んで結婚することは「あてがう」だろうか?一般的な感覚として違うね ここから「あてがう」は「意思に反して」&「結婚する」をさせる行動だと考えられる(割と雑な定義だが、問題ない範囲だろう) 一方「下方婚」は「意思に反して」という意味を必ずしも含まない 従って「低所得者と結婚」=「下方婚」と翻訳しても 「女は下方婚しろ」=「女は低所得者と結婚しろ」 と 「低所得者にも女をあてがえ」=「女は意思に反して低所得者と結婚しろ」 は論理的に意味内容が異なる。「女が自分の意志で低所得者と結婚する」ケースが差分だね まぁここまで考えなくても、「低所得者と望んで結婚してる女性って、普通にいるよな」と考えるだけで両者の論理的な意味の違いは明白だけどね 更に
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