それにしても中国文明は偉大だ。 なんでも発明しとる。
だけど世界的に行政もマスコミも鍵十字の使用やヒトラーの発言引用にはものすごく神経質になるのに中国共産党やらクメールルージュが使用してきた象徴の使用や毛沢東の発言の利用については全く何も言及しない。 これって結局人道に対する罪とはいっても「欧米(の中の連合国)がされてきた」人道に対する罪のみを重要視するだけで、過去の歴史で行われてきた欧米以外のあらゆる人道に対する罪については軽視されてるんだよな。 このテの言説への言い訳にグローバル化を持ち出す輩がいるがグローバル化というなら当然世界のすべての地域における人道に対する罪についても世界中で認識が共有されるべきであってグローバル化≠欧米中心化にしていかなければならないと思う。 なによりも「人道」や「人道に対する罪」という概念自体ほぼ欧米中心の価値観で作り上げられたようなものなのに、自らが作り上げた「人道に対する罪」に当然に当てはまるような欧米以外
“この映画は、飛行艇時代の地中海を舞台に、誇りと女と金をかけて空中海賊と戦い、紅の豚とよばれた一匹の豚の物語である。” 日本語を含めた10ヶ国語分のあらすじがタイプライターの打刻音とともに、宮崎駿監督がデザインした日本テレビのシンボル「なんだろう」10匹(?)から現れる。アラビア語だけ右からだったり、下2行のフランス語とドイツ語だけほんのちょっと長かったりと、どこか冗談まじりでユーモラスな雰囲気が漂うこのシーンから「どうやらこの映画は気楽に見ていいようだ」という“お気楽さ”が見るものの肩肘を和らげる。 『紅の豚』(1992)はまさしく宮崎駿監督が冗談半分で企画した作品であった。最初は。 本当は国際線の機内上映向け映画だった『紅の豚』 『紅の豚』は宮崎作品の中でも、もっとも監督の個人的な映画として知られる。 当時“ド中年”だった監督自身が豚で中年の主人公ポルコ・ロッソに投影されていることは、
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