そろそろ、いろんな評が出そろった感のある映画『ミスト』について。 ところで、今回の日記では主に技術面から『ミスト』の話をしようと思っている。実際、『ミスト』の面白さの大半はテクニックに負うところが多い。逆説的な言い方になるが、ほとんどの『ミスト』評がストーリーや「衝撃のエンディング」に振り回されているのは(そう言って差し支えないと思う)、『ミスト』が技巧的に優れているからでもある。『ミスト』は仰々しい長回しだとか、とんでもない移動撮影のような「それとわかる」技術をひけらかしているわけではない。文章に例えると、そういった技術は難解な漢語をちりばめた美文のような、あるいはアクロバティックな回文のようなものだと言うことができる。そうではなくて、『ミスト』は平易に見える「地の文」におそろしくこだわった映画である。ほとんどの場合、「地の文」が人々の注意を惹きつけることはない。しかし、注意深く「地の文
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