■時間が主題の“今”の小説 光文社の古典新訳文庫が話題を呼んで、亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』が百万部を数えたり、『星の王子さま』が倉橋由美子や池澤夏樹らの訳で各社から続々刊行されたり——世界文学の隆盛から時も流れ、古典を訳し直すことも多くなった。古典も端(はな)から古典ではなし、初訳時とは時代も文化も変わる。長命な本ほど訳は往時の息吹を失う一方、新訳の結果逆に、選別や風化に耐えた“どの訳でも滲(にじ)む普遍性”が見えもする。 言葉の精めいた多和田葉子が編訳した本書にもどうやらそんな受容と需要があった。年長者には名作や挫折した長編の再読の契機に。若年層には“古典”への糸口として。事実、多和田訳の「変身(かわりみ)」はカフカの執筆当時もこれほど精彩に満ちたかと思うほど、生き生きと“今”の小説めいている。 百余年前の同作は“変身”を疫病・戦争の隠喩とする読み方や、逆に不条理の象徴とする評価が