南城市で育ち、格闘技好きの父知之さんの影響で小4の時に空手を始めた。佐敷中では空手を続けながら柔道部に所属し、3年間夢中になった。全く勉強せず高校進学で迷った時、父と親交のあった沖尚高ボクシング部監督の故金城眞吉さんに「うちでボクシングをやれ」と誘われた。「格闘技ができるなら」と入学を決めた。 目立ちたがり屋な性格で「一発KOが格好いい」と、ボクシングの派手な部分に憧れた。だが金城さんの指導は「ガードを下げるな」「足を動かせ」と地味な基本の繰り返し。苦痛でしかなかった。それでも地道な反復練習がボクサーとしての土台を築いた。パンチ力を武器に、前に出て打ち込むファイタースタイルを確立し、めきめきと実力を伸ばした。 3年の全国選抜大会バンタム級で優勝し、金城さんが育てた最後の全国高校王者となった。東洋大進学後も、11年から大学で総監督になった金城さんから再び指導を受けた。 卒業後、プロデビューし
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