id:md2tak よく考えれば、被害者が自身の行動・思考について内省する自由を侵害するようになる可能性もあるなぁ。そんなこと考えてもいないんだろうけど。 はてなブックマーク - Non-Fiction(Remix Version) | [ツッコミ]にしては底が浅い 「もっと気軽に女が男をレイプできる世界になると良いね。」「性別に関係なくみんな気軽にレイプできる社会が来ると良いですね。」という別の人の発言も目にした。その人は「表現の自由」の旗幟に立つ論者だった。別れたい……ではなく。――md2takさん。 「自由」とは差別の撤廃と同時に達成されることであり、また達成されてきたことです。そして、当然のことながら、この社会では達成されていないどころか「遠い夜明け」でしかない。だから、言うまでもないことですが、陵辱表現の商業的流通と――ミニスカートがそう指されるような――「女性の自由なファッシ
0.本文に入る前に 最初にお断りをします。この記事では、直接的な性暴力の被害経験の触れています。性暴力についての記述を読んだときに、気分が悪くなったり感情がセーブできなくなったりすることがあります。被害経験がある人はもちろん、そうでない人もご注意ください。(そうした記述を、身を守るために読まない、という選択もあるべきだと、私は思っています) 次に上記以外の理由で読む気がない人向けに、結論を書いておきます。 【結論】 性暴力において、被害者を出さないための、決定的な方策はいまだみつかっていない。他者と信頼関係を結ぼうとする中で、加害者は被害者に性暴力をふるう。加害者が性暴力という行為に至るメカニズムは、判明していない。他者とのつながりを求める限り、親密な関係におけるレイプは、防ぎきれない。だが多くの人々は、他者との親密な関係を拒絶することを、選ばないだろう。そこで、性暴力の危険性を認知しなが
三浦展研究 民間シンクタンク研究員・三浦展氏の文章を検証したシリーズです。全3回。第1回は『ファスト風土化する日本』、第2回は『仕事をしなければ、自分はみつからない。』、第3回は『「かまやつ女」の時代』です。 (前編はこちら、中編はこちら) 民間シンクタンク研究員・三浦展氏の著書『「かまやつ女」の時代』(牧野出版)を読んでいて、私の頭の中で常に浮かんでいた言葉は「消費フェミニズム」である。「消費フェミニズム」とは何かというと、これは米誌「ニューズウィーク」のコラムニスト、スーザン・ファルーディが使っている言葉である。ファルーディによると、平成12年の米国において、米国の女性が米国の現状をどう思うか、というインタヴューをしたところ、経済的には豊かなはずの米国において、返ってきた答えは《「怒りを感じる」「ひどすぎる」「うんざりする」》(スーザン・ファルーディ[2001]、以下、断りがないなら同
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