わかればいいのか 『劇場版そらのおとしものf』を見たら、『劇場版リリカルなのは 1st』と共通する問題を感じたので、ここに書いておく。 ・どちらもモノローグで説明しすぎ ・どちらも尺の割にセリフを詰め込みすぎ 『そらのおとしもの』の日和のモノローグはほとんど全部ないほうがいい。『なのは』のフェイトも同じく。説明しないと何を考えているのかわからない? では、わかることにどんなメリットがあるのか。その場かぎりの作り話にすぎないものをわかることが、そんなに重要なのか。わかることと楽しいことのあいだに、どんな関係があるのか。前者が後者の必要条件だと思い込むのは、いったいどんな因果あってのことなのか。 モノローグ乱発の割を食ってか、尺が足りない感じが全編にありありと漂う。『なのは』の編集はギリギリまで詰めて削ったのだろうと思わせたし(とはいえこれは編集のスタイルかもしれない)、『そらのおとしもの』で