このコラムについて ブログやSNSのように、普通の人がインターネットで気軽に情報を発信するようになったことが「Web2.0」という流行語(バズワード)を生みました。Web2.0の切り口には、技術も、商売も、哲学もありますが、このコラムでは、基本的に「広告」という視点で考えていきます。筆者はテレビ広告業界を経験後、サイバーエージェントに転じ、ネット広告の世界で活躍している須田 伸氏です。 記事一覧 記事一覧 2010年3月30日 ドゥ・ザ・ライト・シング――(笑)、涙の最終回 まさにこの番組の視聴者の多くが、テレビというマスメディアを視聴しながら、TwitterやUSTREAMといったネットメディアも楽しむ、という行動をとっていたように、消費者の中ではマスとネットは、どちら... 2010年3月23日 「痩せる」「ガンも生活習慣病も治る」誇大広告無法地帯 書店に行くと「テープを巻くだけで、驚
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 前回の結びで予告したとおり、今回は「そもそも広告って何だろう」という根っこの話をしようと思います。 テレビCM、新聞広告、雑誌広告、屋外ビルボード、インターネット上のバナー広告、検索結果連動広告、クチコミキャンペーン、などなど。広告のバラエティはどんどん豊かになっています。その一方で「以前よりも広告が効きにくい」という声もよく聞きます。 広告を取り巻く環境が目まぐるしく変化する時代において、どんな広告であれば消費者に受け入れられるのでしょうか。 広告の「機能」は江戸時代から変わらない あまり哲学的に話をしても、ますますややこしくなりそうなので、広告を「広告の機能」と「広告の形態」に分けて考えることで、シンプルに整理してみようと思います。 広告
「ソフトバンクの発表があまりにもいい加減だから、正式な数字を発表することにした」。KDDI担当者は語気を荒げてまくし立てた。「2年もかけて準備してきた番号ポータビリティー制度を台無しにしてくれた」。 10月30日、KDDIは番号ポータビリティー(継続)制度の加入者数を公表した。同社によれば、約8万の契約純増があった。 携帯電話会社を移行しても番号を引き継げる番号継続制度が10月24日に始まった。制度開始からわずか6日間しか経っていないにもかかわらず、KDDIがあえて契約状況を公表したのは、冒頭の担当者が怒りの矛先を向けた、ソフトバンク(9984)にある。 ソフトバンクが、28~29日の連日にかけて起こしたシステム障害によって、ソフトバンクからの転入・転出作業が一時的にストップ。KDDIにとっては、大きなビジネスチャンスを逃すことになった。さらに、KDDI担当者を激怒させたのが、ソフトバンク
パソコンとは、パーソナルコンピューターの略である。というわけでパソコンが登場する以前、パーソナルなコンピューターは存在しなかった。世の中にあったのは「メーンフレーム」と呼ばれた大型コンピューターであり、社員は職場で「ターミナル(端末)」と呼ばれる装置の前に座って大型コンピューターを使っていた。ターミナルは文字を表示するディスプレーとキーボードが付いた入出力装置で、それ自身はコンピューターではなく、処理はすべて大型コンピューターが担当していた。 大型コンピューターは、給与計算や販売データの集計といった事務計算か、設計シミュレーションなど科学技術計算を担っていた。いずれにせよ企業あるいは組織のためのコンピューターであり、個人のためのものではなかった。これに対し、パソコンは一人ひとりの個人に演算能力を提供し、個人の能力をもっと高めようという思想のもとに開発された。従って初期のパソコン開発者たちは
再春館製薬所の基礎化粧品「ドモホルンリンクル」が生まれたのは、1974年。 82年にテレマーケティングシステムを導入して以来、売上高は24年間で60倍に成長した。 今も同社の売上高242億8500万円の約9割を、「ドモホルンリンクル」7商品が占める。 同社の顧客満足追求を支えるユニークなコミュニケーションの仕組みと商品改良の秘密に迫る。 それは1993年6月の“ある事件”がきっかけだった。 「明日から3カ月間、一切のアウトバウンド(電話セールス)を中止します」― 社長(現会長)の西川通子の決断に、居並ぶ経営幹部が驚いたのは無理もない。93年当時、再春館製薬所の売上高の7〜8割は、顧客へのアウトバウンドによるもの。 西川が決断するに至ったのは、うず高く積もった返品の山。集計してみるとその額は約7000万円分。購入後に「やはり不要」と考えた一部顧客からの返品だった。 82年に西川
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 今日は日本のワークスタイルについて、考えたいと思います。 僕はもともと研究者を目指して日本の大学院に留学しました。大学院を修了後、中国に帰国するつもりでしたが、日本でビジネスの世界に足を踏み入れることになりました。1992年のことです。3カ月ほどのサラリーマン経験をした後、起業しました。 起業した大きな理由の1つは、最初の職場で体験した金太郎飴的なワークスタイル、中でも最も納得できないのは残業の多さでした。残業は勤勉の象徴のように受け止められていて、残業しない人は仕事に熱心ではないかのように感じられました。これは何も僕が勤めた先だけに限った話ではなく、当時は他の企業も同じような状況が多かったのだと思います。 それから時代が変わり、日本にも多様
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