カズさんが以下のコメントをしてくれています。 http://nihonshiki.sakura.ne.jp/nikki/2013/09/post-543.html#comment-99 このコメントを基に、少し論じていきます。 > 実は現日銀副総裁の岩田規久男もその著作の中で > 「貨幣の供給は銀行の信用創造に依存する」ということを述べています。 > そこからリフレ理論に飛躍するのは理解不能ですが。 そうですね。 無理に解釈すれば、 異次元の金融緩和は期待を喚起することによって、 景気回復を狙う政策と見なせるかもしれません。 「資金供給量を2年間で2倍に拡大する政策」ではなく、 「異次元の金融緩和」という突飛な表現がそれを示していると思います。 こういった視点を持つと、 アベノミクスの第一の矢と第三の矢をプッシュして、 第二の矢を抑えようとする人の心理を推測することができそうです。 一部の
さて、前回のことは忘れて、気を取り直してもう少しだけ貨幣について論じてみます。 内生的貨幣供給の歴史について、内藤敦之氏の『内生的貨幣供給理論の再構築』を参考にして少々述べてみます。 内生的貨幣供給という概念は、意外に古かったりします。古典派の時代でも、内生的貨幣供給を主張する銀行学派と外生性を重視する通貨学派の間で通貨論争などが起きていたりしたそうです。そこらへんはあまり詳しくないので飛ばして、20世紀になると、ケインズの『貨幣論』が有名ですね。同時代のホートリーやロバートソンなども内生的貨幣供給に言及していたりします。カレツキなんかもそうですね。 それで、いよいよポスト・ケインジアンの内生的貨幣供給論です。カルドアやムーアなどは水平派(ホリゾンタリスト)と呼ばれ、レイやポーリンは構造派(ストラクチャリスト)と呼ばれています。 まずは、カルドアから。カルドアは、〈「安定的貨幣関数」に関す
さて、貨幣つまりお金は、ポストケインジアンの言う内生説で説明しきれるかどうかを検討していきましょう。具体的には、外生説は完全に排除できるのかということですね。 根井雅弘氏の『市場主義のたそがれ』によると、「外生説」は〈中央銀行が「マネー・サプライ」を決定することができる〉と説明されています。「内生説」は〈マネー・サプライが貨幣需要(有効需要または所得に依存する)から独立ではなく、需要に対して消極的に調整される〉と説明されています。 ざっくりと見通すと、「内生説」が有力で、「外生説」が間違っているような気もしますが、そうとは言い切れない要因もあると思うんですよね。 自分の経験にそくして、二つの違和感を説明してみます。 一つ目は、外生説の代表格であるマネタリストの貨幣数量説です。 貨幣数量説とは、「社会に流通している貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定しているという理論。流通速度が一定の
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