「敵性語」を追放しよう 日本人の横文字崇拝について (例によって大風呂敷です) 今回のテキストは 「写真週報」 昭和18年2月3日(257)号からであります。表紙にいわく「米英色を一掃しよう」 戦時中の「敵性語」追放運動は、当時の日本のおかしさを象徴するものとして読者諸氏にとっては周知の事項であると思う。今回は当局発行の雑誌から、その内容を垣間見よう、と云う趣向であります。 毎度毎度大きい画像ばかりで申し訳ない(笑)。本文にはこうある(当然原文は旧かな) これは決してニューヨークやロンドンの街頭ではない。日本の街頭だ。しかもわれわれは、いま米英と戦っている。それにどうだろう、わが日本の都会にこの横文字看板が氾濫しているとは…かかる米英媚態の看板は断然やめようではないか それではどういう看板が米英媚態のものであるかというと、大体ここに取り上げた看板のように、この商店は一体なにを商っているのか
<関係略年表> 1918 ドイツ、第1次世界大戦で敗北 19 ワイマール憲法制定、ドイツ労働者党結成(翌年ナチスと改称) 21 ヒトラー、ナチスの独裁者となる 22 イタリアでムッソリーニのローマ進軍(ファシスト内閣成立) 23 ナチス、ミュンヘン一揆に失敗 25 ヒトラー、『わが闘争』発表 29 アメリカで世界恐慌始まる 30 ナチス、総選挙で第2党へ。共産党第3党。 31 金融恐慌ドイツに及ぶ 32 総選挙でナチス第1党へ。パーペン内閣。シュライヒャー内閣。 33 1月ヒトラー内閣成立。3月全権委任法成立、ナチスの独裁確立。 1) 世界恐慌とナチスの台頭 1920年代後半、いったん解体しかかったナチスを結果的に「救った」形になったのは、1929年にアメリカで 始まった世界恐慌でした。これにより、ドイツ経済はアメリカ資本の支持を失い、大恐慌へ入ってしまいました。 当時のドイツ支配勢力は、
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