タグ

ブックマーク / note.com/davitrice (10)

  • 村上春樹の個人主義と、その参考にならなさ|デビット・ライス

    (このエッセイは最初は「村上春樹とわたし」という題名で書いていたが途中で方針転換した。そのため、序盤ではわたしが村上春樹の作品に出会ってきた経緯を書いているが、途中からは別の話題に切り替えて書いている。) はじめに村上春樹のに触れたのは中学生のときで、『うずまきのみつけかた』というエッセイだ。わたしは小学生の頃は青い鳥文庫などの児童向けミステリーを読んでいて、中学に上がってからは新潮文庫などで大人向けのミステリー小説も読み始めていたのだが、ある段階で「ミステリー小説なんてどれもこれも同じだ」と気付いて嫌気が差してしまった。しかし、当時はミステリーやSFなどのジャンル小説ではない小説の存在によく気付いておらず、何を選択すればいいのかもわからなかったので、しばらくを読んでいない時期が続いていたのだ。そんな時期に、見かねた父親が新潮文庫の『うずまきのみつけかた』を買ってくれたのだ。ただし

    村上春樹の個人主義と、その参考にならなさ|デビット・ライス
    maturi
    maturi 2021/03/03
    村上春樹の価値観や考え方とそれに基づいた生き方は、多くの人が憧れて理想の対象にするようなものだ。同時に、その考え方や生き方は、凡人がトレースして真似するのがかなり難しいものでもある。「村上春樹のように
  • わたしが「自由」が苦手な理由|デビット・ライス

    心理学のを開くと、こんなことが書かれている場合がある。 「自由主義や保守主義などの政治的なイデオロギーを主張している人たちは、表向きには論理的に各イデオロギーの主張を検討した結果として納得のいったいずれかのイデオロギーを論理的に支持しているように見えるが、実際にはどのようなイデオロギーを支持するかは心理的・生得的な要因に左右されている。自由主義を支持する人は、自由主義が正しいから支持しているのではなく、その人が生得的に自由主義的な傾向を持っているからだ。保守主義を支持する人も、保守主義が正しいから支持しているのではなく、その人が生得的に保守主義的な傾向を持っているからである。」 たとえば、『社会はなぜ左と右にわかれるのか:対立を超えるための道徳心理学 』というを著しているジョナサン・ハイトは上記のような主張をしているなかでも代表的な論者だ(彼のTEDトーク動画はこちら)。わたしはハイト

    わたしが「自由」が苦手な理由|デビット・ライス
    maturi
    maturi 2020/03/18
    梅の塩加減|”反対している人の大半はそもそも理由や理屈に基づいて反対しているのではなく、ただ他人が自由を行使できるようになることが不快で脅威だから反対しているのだろう。そして、私にはその気持ちがわ”
  • 何が好きかより何が嫌いかを語ろう|デビット・ライス

    『魁!クロマティ高校』という漫画のなかに、「プータン」という芸名で活動する着ぐるみを被った芸人のキャラクターが出てくる。いま手元に単行がないのでうろ覚えになってしまうが、こんなエピソードがあった。プータンがテレビ番組のグルメレポートをするのだが、なにをべてもグルメレポートらしいことを言わずに、「普通」とか「うまい」と一言呟くだけで済ませてしまうのだ。 なんてことのないネタであるが、このエピソードは「感想」というものの質を突いている。美味しいべ物をべたときにグルメレポーターは大げさに騒いだり形容詞や比喩を使って美味しさを表現しようとしたりするが(その形容詞や比喩も大概はオリジナリティのない使い回しである)、実際には人は美味しいものをべたところでさほど感動することはない。頭や心の中に浮かぶ感想は「うまい」とか「思っていたよりも普通だな」とか「大して美味しくもないな」とかいうものが大

    何が好きかより何が嫌いかを語ろう|デビット・ライス
  • 仕事と、それに対する私の距離感|デビット・ライス

    "仕事"ということについて振りかえって思いを馳せるときにいつもゾッとさせられるのは、それが私の人生においていかに軽い扱いになっているか、ということだ。 「軽い扱い」といっても、私が意識的に「仕事なんてくだらないことを自分はするべきではない。なにか他の方法で一発当てるなり金持ちの女の人のヒモになるなり生活保護に頼るなりして、仕事をやらずに生きていくべきだ」と考えているわけではない。(…正直に言うと学生時代にはそういうことを考えていた時期もあったが、大半の不真面目な学生には一度はこういうことを考える時期があるものだろう。) ここでいう「軽い扱い」とは、私の記憶における比重についての話だ。どこかの会社にてフルタイムで働くということは、その間は、人生の大半の時間がそこの仕事で占められるということである。基的には週に五日間は会社に行くことになるわけだし、出勤の準備や退勤後の疲弊などを考えると仕事

    仕事と、それに対する私の距離感|デビット・ライス
    maturi
    maturi 2020/02/28
  • 京都を歩き尽くすこと|デビット・ライス

    京都といえば「学生の街」というイメージが強いが、言うまでもなく、京都には学生ではない人間も住んでいる。京都に生まれて、ずっと京都に暮らしている人間もいるものだ。そして、京都に生まれて暮らしている若者のなかには京都の大学に行く人も多い。そこで、京都以外の他の地方出身の友人を作ることもあるものだ。 このことにはある種の寂しさがつきまとう。というのも、他の地方出身の友人の大半は、大学を卒業したらもう京都からはいなくなるからだ。京都では東京や大阪のようには企業の数が多くないから、友人たちの多くは卒業したら京都を出て他の都市にある企業に就職することになる(私のまわりでは大阪が多かった)。それか、各々の地元に戻って地方公務員になったりする。多くの人にとって京都はあくまでも学生時代にしか住まない街であり、だからこそ「学生の街」というイメージがついているのだろう。 しかし、繰り返すが、京都にはそこで生れ育

    京都を歩き尽くすこと|デビット・ライス
    maturi
    maturi 2020/02/28
    いい
  • 「有能さ」についてわたしが発見したこと|デビット・ライス

    これは最近になって私が発見したことなのだが、大人という存在はその人の持っている「能力」で外部から自分の価値を計られてしまうものである。そして、これも私が発見したことなのだが、多くの場合に「給料」や「報酬」にはその人の持っている能力が関わってくる。お金を稼げるようになるためには、実は、なにかの「能力」が必要とされるのだ。さらに、「能力」はお金のことだけでなく人間関係にも関わってくるし、場合によっては人のアイデンティティにも影響を与えることがある。これも30歳を過ぎた私ならではの発見である。 就職をするためには自分にどのような能力があってどんなことができるかを会社に対して示さなければならないし、給料だって能力に左右される。雇用されていないフリーランスだって仕事を受注するためには顧客たちに能力を示さなければいけないことについては変わりない。アカデミアや芸術の世界なら、一般的な仕事の世界以上に実

    「有能さ」についてわたしが発見したこと|デビット・ライス
    maturi
    maturi 2020/02/25
    (逆に考えると、女性の場合も、稼ぎは求められないとしても他の能力が求められることで苦しんだりしているということなのだろう)
  • 三流国家の首都に暮らすことについて|デビット・ライス

    私が京都から東京に引っ越してきたのは、2017年の10月だ。つい最近に引っ越してきたという感覚が未だに消えないが、実際にはすでに2年と数ヶ月経過している。引っ越したのは28歳の頃で、それまでの28年間はずっと京都で生活してきた。 引っ越したきっかけは就職である。24歳の時に修士を卒業した私はそのまましばらく京都でフリーターをしていたのだが、意を決してフルタイムの仕事を目指したときに、東京に移ることにしたのである。京都を出たことにはいくつかの理由がある。まず、実家で家族と暮らすことがあまりに気詰まりになっていて、フルタイムで働くことで家賃が支払えるようになるなら家を出たいということがあった。また、京都という街自体にもあまりに長い間住んでおり、行けるところにはどこにも行き尽くしていたので、閉塞感を感じていた。 移る先を東京に選んだ理由もいくつか存在するが、まずは「仕事の選択肢が多い」という現実

    三流国家の首都に暮らすことについて|デビット・ライス
    maturi
    maturi 2020/02/20
    attention seeker みが出てきた
  • 「学問ごっこ」と、それに対するわたしの反感|デビット・ライス

    これまでの自分の生き方や考え方について振り返ってみると、前々から薄々気づいていたことではあるが、「何が好きか」よりも「何が嫌いか」ということに自分が振り回されてきたことを再認識してしまう。ネガティブな外的事象に自分の人生や人格を決定させてしまうことはどう考えても自分にとって良いことではないし、幸福ではなく不幸につながることだとは思う。しかし、何しろ昔から様々なものやことが嫌いで仕方がなかったし、今さらそれを更生できる見込みもないだろう。だから、「嫌いなものは嫌い」と割り切るしかない。そして、それを溜め込んでいるよりかは外に向かって吐き出した方が多少なマシというものだろう。 大学生のとき、私は周囲にいた一部の学生たちの言動のなかにある種の特徴や傾向を見出すようになり、それが段々と苦手になっていった。その特徴や傾向を、ここでは「学問ごっこ」と呼ぶことにしよう。 私が「学問ごっこ」を感じる言動の

    「学問ごっこ」と、それに対するわたしの反感|デビット・ライス
  • 異文化で生まれ育つことについて|デビット・ライス

    私の両親は私が生まれる直前に日に引っ越してきて、そのまま現在に移住している。いわば「移民」だ。そして、移民の子である私は「移民二世」ということになるだろう。 移民の子として生まれて育つことには、それ特有の苦労があるものだし、場合によってはそれ特有のメリットがある。韓国中国から日移住した人たちの子孫や(「在日二世」とだけ書くときには在日コリアンのことを指している場合が多いだろう)、日からアメリカ移住した人たちの子孫(日系二世など)については、彼らの置かれてきた状況や経験してきた苦労が社会科学的な研究の対象となり、また小説映画などのフィクションでも描かれてきているので、一定の周知がされている印象がある。それに比べると、私のような在日アメリカ人のことを主人公とした物語はほとんどないし、社会科学などにおいても取り扱われているのはほとんど見たことがない。これは単に母数の違いによる問題で

    異文化で生まれ育つことについて|デビット・ライス
    maturi
    maturi 2020/02/14
    ・家の本棚に日本語本がない ・学校、受験、就職等制度を親が理解していない ・日本人の食べ物を残すなと言う規範・同調圧力強すぎ ・クリスマス豪華お年玉質素 ・親戚付き合い
  • アイデンティティとしての"在日アメリカ人"|デビット・ライス

    これまでにもTwitterで身辺のことを書いたりはてなブログに様々な記事を投稿したりしてきたが、「自分がどういう人間であるか」ということをまとまった文章で書く機会はなかった。 いまは失業中で時間だけはたっぷりとある身分のことだ。1月に31歳になったばかりだが、東京に引越しして社会人生活や一人暮らしを開始してから2年以上が経過しており、一人前の大人としての生活にもようやく慣れたところだ。また失業なんてそうそうできることではなく、次に就職したら、それからしばらくは働き続けてなければならないことであろう。せっかくの機会だから、今のうちに自分の人生についてゆっくりと振り返りたいものである。 そのため、これからしばらくはエッセイ的な文章を集中的に執筆して投稿してみることにした。 媒体をはてなブログではなくnoteにしたのは、noteの方がはてなブログに比べるとまだしも「私的」な文章に向いているように

    アイデンティティとしての"在日アメリカ人"|デビット・ライス
    maturi
    maturi 2020/02/14
    はてなブログだと、私的な内容の文章に対して野暮で無粋な連中によるしたり顔のブックマークコメントを付けられて不愉快な思いをさせられてしまう可能性が高いのである。
  • 1