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ブックマーク / tsiraisi.hatenablog.com (2)

  • 情報源の秘匿とオープンソース - 仕事の日記

    演奏家に焦点を当てて、音楽を「イベント」化する動きに違和感があるのは、演奏家が拠り所にしている情報源(クラシック音楽流の楽譜=テクストであれ、邦楽流の伝統であれ)を聴き手から隠そうとする感じがするからではないかと思う。「イベント」で「プレイヤー」へと注意を集めると、まるで「プレイヤー」がイベントの中心であり、出来事の源泉(光源)であるかのようだけれど、実際には、プレイヤーは楽譜/テクストであれ伝統であれ、背後の光源によって輝いているに過ぎない。「プレイヤー」の存在だけをクローズアップするのは、光源をプレイヤーが聴き手の視界から隠してしまう皆既日のような感じがする。 でも、通常、聴き手もまた、プレイヤーを介することなく、自力で情報源にアクセスできる。自力で楽譜/テクストを読んだり、当該の伝統に知的もしくは体験的にアプローチすることが可能ですよね。そしてそのような知見を前提にして、目の前のプ

    mayumiura
    mayumiura 2019/12/01
    “演奏家に焦点を当てて、音楽を「イベント」化する動きに違和感//プレイヤーは楽譜/テクストであれ伝統であれ、背後の光源によって輝いているに過ぎない。//おそらく、オープンソースではない芸能は衰退する。”
  • 「青年グループ」という青年のオペラ集団のこと(1953-1961/66年) - 仕事の日記

    バルトーク「青ひげ」が1954年には日初演されていたと前に書きましたが、公演団体は「藤原歌劇団青年グループ」となっています。 当時、藤原歌劇団に所属していたバリトンの竹原正三さん(1928-2006)が中心になって、ひたすら日初演にこだわったグループのようです。演目を見るだけでも、センスの良さがキラキラ輝いている感じがします。ファリャ「はかなき人生」などの演出に山岡久乃さんのお名前が見えたり、イイノホールで若杉弘さんがピアノを弾いていたりもして……。 参考:林田直樹さんによる「竹原正三さんのこと」 http://blog.livedoor.jp/naoh123/archives/50751879.html - このグループはいったい何だったのか? すごく気になるのですが、手許には日オペラ振興会編『日のオペラ史』といくつかの公演評しかなく、これ以上わたくしにはどうにもできそうにないの

    「青年グループ」という青年のオペラ集団のこと(1953-1961/66年) - 仕事の日記
    mayumiura
    mayumiura 2019/04/12
    “当時、藤原歌劇団に所属していたバリトンの竹原正三さん(1928-2006)が中心になって、ひたすら日本初演にこだわったグループのようです。”
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