一時期よりは減った気がするけど、まだ「受験勉強は本当の勉強じゃない」とか「大学入試で頭の良さは測れない」とか「受験勉強で学んだことは社会に出てから役に立たない」言う人がいる。そういうのって、受験しない人とか受験終わった人が言うのはいいけど、受験生が言っちゃダメだと思う、という話。 まず、「勉強」という言葉が、生涯学習とか、本当に自分が知りたいことを知るための勉強を指しているのであれば、「受験勉強」はそれらとは全く別物なので、受験生は早くそれを認識したほうが良い。受験勉強してて「こんなの本当の勉強じゃない」と思うのは自由だけど、思ったところで大学入試のレギュレーションが変わるわけではないので、「受験勉強と(自分が思う本当の)勉強は別もの」と割り切って、どうしてもやりたければ、受験勉強の合間に「本当の勉強」をすれば良いと思う。 以下、受験勉強と勉強の違いというか。 大前提として、受験勉強は最終
勉強させられてかわいそう? 毎年2月は受験のシーズン。中学受験、高校受験、大学受験と多くの少年少女が、勉学に励み、その成果を試しています。 今年もまた多くの受験生が真剣勝負に挑んでいますが、近時、世間的に大きな話題となったのは女優・芦田愛菜の名門中学合格の件でしょう。 やれ偏差値70だ、やれ芸能活動禁止でどうする? と、かまびすしく騒がれていましたが、マスメディアの反応は、女優業と学業を高いレベルで両立した彼女への賞賛の声が比較的多かったように思います。 しかし、その受験のために「一日最高12時間勉強した」ということに対しては、やや「可哀想」ともとれるような声がいくつかあったのが気になりました。 すでに女優で確固たる実績を残しているということもあって(フリップをめくるたびに「くあー」「うあー」と叫んでいた宮根誠司をのぞいて)テレビなどではその勉強習慣をdisるトーンは控えめでしたが、一部ネ
今、テレビで「日本アカデミー賞授賞式」が流れてんだけど、「ちはやぶる」って映画の解説で「撮影ではスピーディーな世界観を出すため」とかいってた。 なんだよ? スピーディーな世界観って。 多分1990年代から、それまでの「世界観」って言葉の用法が拡張されて、作品の背後にある作者の「世界観」ではなくて、作品そのものに投影されている「なにか」を「世界観」って言うようになったと思うが、最近は乱用がひどくって、単に「作風」とか「雰囲気」程度のものまで「世界観」にされちまってる。 あと、わざわざ「世界観」じゃなくても「世界」でもOKなんじゃないか?とか。 「作品の世界観を再現した」じゃなくて「作品の世界を再現した」で、意味わかるよね? 「世界観」は作品の背後にあるもので、そう簡単に再現はできねえんじゃないかなあ。 とりあえず、スピーディーな世界観ってなんだ? 単に、テンポの良い作品を作りたかっただけの話
先日、ある都立高校を仕事で訪れた。その高校は、以前は地域屈指の「教育困難校」だったが、校長主導で大胆な改革が行われ、短期間で学校の評価が上がったサクセスストーリーで有名な高校である。 改革以前の同校は学力最下層の生徒が仕方なく入る学校で、当然、定員割れが続いていた。入学者の約半数が中退。なんとか卒業にこぎ着けた生徒でも「進路未定者」、つまりフリーターやニートが半数に上るという惨状だった。生徒の服装も当時の典型的なヤンキースタイルで、他校との抗争に明け暮れる生徒も多かった。この高校の周辺の中学校で、進路指導の際に、その中学でナンバーワンのワルと目されていた生徒に「お前の入れる高校はあそこだけだ」と教員が言ったところ、その生徒が「あそこだけはいやだ。怖い」と尻込みしたという伝説が残っているほどだった。 1997年、前任者が病休になり年度途中に赴任してきた校長が敏腕を振るった。当時、大手マスコミ
町山智浩さんがTBSラジオ『荻上チキ Session-22』に電話出演。ドナルド・トランプ政権の黒幕と言われているスティーブ・バノン氏について、荻上チキさんと話していました。 (荻上チキ)ではですね、このバノンさんという人物がどういった形でアメリカで注目されているのか? この方にお電話でうかがいたいと思います。TBSラジオ『赤江珠緒たまむすび』でもおなじみです。アメリカ在住の映画評論家、町山智浩さんにうかがいます。町山さん、おはようございます。 (町山智浩)はい。町山です。よろしくお願いします。 (荻上チキ)よろしくお願いします。今日はすっきりお目覚めできましたか? (町山智浩)ああ、もう時差ボケで。アメリカに着いたばっかりなんで(笑)。 (荻上チキ)そうかそうか。帰ったんですね。はい。このスティーブ・バノンさんを今日は取り上げるんですけども。アメリカのメディアではこのスティーブ・バノンさ
物知りな人ほど「知ったかぶり」をしてしまう? 知識に関する心理学 Do You Really Know What You Think You Do? 「無知の知」というソクラテスの言葉がありますが、実際には、自分が無知であることを知ることはとても難しいようです。人は、「自己奉仕バイアス」により、実際以上に自分は物事を知っていると思ったり、自分の推論が実際以上にいいと信じ込んだりしてしまいます。これは誰にでも起こりうることです。例えば、2015年に行われた研究では、研究者が被験者に生物学、哲学、そして文学の分野での自分の知識を評価するようにお願いしました。例えば生物学の分野では「哺乳類」とか「副腎」といった用語が出て来ましたが、そのなかには人々が知るはずのない、研究者が作り出した言葉がこっそり含まれていました。すると、被験者の124人中110人が、自分はそれについて知っている、またはそれにつ
会話ではなく文書やメールなどのケースです。 「送ってます」 「やってます」 「言ってます」 「知ってます」 こういうのが気になってしまいます。 「送っています」 「やっています」 「言っています」 「知っています」 の方がしっくり来るのですが、みなさんはいかがでしょうか? わりとしっかりめの書類やメールでもこういった書き方をされる方が多く、気になる日々です。 ちょっと失礼な気もするのですが、間違っているわけでもないので… 口語的な表現をそのまま文章にするから変なのでしょうか? 似たようなもので「か」抜き言葉も気になります。 ※こう呼んでいるのは自分だけかもしれません、正しい呼び方は知りません。 「どうします?」 「食べます?」 「知ってます?」 「行きます?」 「○○されるんです?」 「大丈夫です?」 「良いんです?」 等々… なぜ最後に「か」をつけずに語尾を上げることで疑問文にしようとし
南米アマゾンの密林で、欧州から人々が到着する前に、先住民たちが膨大な数の木を植えていた可能性があることが、このほど発表された研究で明らかになった。 研究は、当時の植樹が現在の植生の構成に大きな影響を及ぼしている、と指摘している。研究者らによると、古代の居住地に近い地域では、食料や建物に使われた樹木の種類がほかの地域よりも大幅に多いことが分かった。
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