2019年12月5日のブックマーク (2件)

  • 「桜を見る会」に「首相枠」で出席した私が抱く大きな違和感(伊藤 博敏) @gendai_biz

    「桜を見る会」と怪しき招待者 国会が、「桜を見る会」を巡る野党の追及一色となり、安倍晋三首相も菅義偉官房長官も、その対応に追われている。 11月8日、共産党の田村智子議員が、「首相が後援会関係者を多数、招待しているのではないか」と、質問して以来、国会は桜を見る会騒動に揺れている。 「各界において、功績、功労のあった方々を招いて慰労する」という公的な首相主催の催しが、首相の後援会を喜ばせる「政治ショー」になっているという批判は、5000円会費の前夜祭に対する疑惑に発展、刑事告発がなされるに至った。 内閣府は、共産党議員から「招待者名簿」の提出を求められたその日に、シュレッダーにかけて廃棄。「森友」や「加計」を思わせる公的文書の取り扱いは、官僚の忖度を疑わせ、野党の追及、マスコミの報道は過熱した。 加えて、怪しき招待者が問題化した。 入れ墨の入浴写真をSNSにアップしている人物が、「桜を見る会

    「桜を見る会」に「首相枠」で出席した私が抱く大きな違和感(伊藤 博敏) @gendai_biz
    mazmot
    mazmot 2019/12/05
    なるほど、なぜ桜を見る会が政権にとって有用なのかを如実に表現してくれている記事だわ。
  • 私が"議論"が嫌いな理由 - 道徳的動物日記

    ひとくちに議論と言っても色々とあるだろうが、私には世の中で行われている議論というものはおおむね2種類に分かれているように思える。ひとつは、議論に参加している双方がお互いのことを対等に見なしており、互いがどう思っているかを明らかにしたり相互理解を目指したりするなどの建設的な目標を持って行う議論である。もう一つは、相手を論破したり相手の主張の欠点を示すことで自分の賢さや能力を第三者たちに誇示することを目的とした議論である。 前者の議論を行う人はいま自分が議論している相手に対して目が向いている一方で、後者の議論を行う人は自分たちの議論を見聞して「どっちが正しいか」「どっちが勝つのか」とジャッジしたがるオーディエンスに対して目が向いていると言えるだろう。そして、SNSなどでバズって"論客"と見なされやすく、人からの歓心を得てフォロワーを集めやすいのは後者の方である。…なかには、単に論破しようとする

    私が"議論"が嫌いな理由 - 道徳的動物日記
    mazmot
    mazmot 2019/12/05
    だがしかし、民主主義は議論が実りあるものであることを前提としている。それが錯誤であると思わせる歴史も多々見せられてきたが、やはりそこを信じなければどうしようもないことも事実であったりする