京都で「原発絵本プロジェクト」として展示をしてきて痛感したこと。 それは、結局わたしたちは「対岸の表現者」でしかない、ということだ。 それでもなお、この問題を題材に表現しようとするかぎり、 わたしたちは「居かた」を決めなければならない。 対岸に居る、直接の被災者の方々にとって、 恥ずかしくない「振る舞いかた」を決めなければならない。 被害者のいる社会的事件を表現するということは、そういうことだ。 === 京都での原発絵本プロジェクトのイベントの最中、その場にいた人間の発言をめぐって、論争が巻き起こった。 その時、来場者の中に、福島と岩手出身のご夫婦がいて、 男性が、 「そもそも、この絵本は、あの事故がなかったら生まれなかったものでしょう?」という一言をおっしゃった。 私達を責めるつもりで発された言葉では全くない。 (前後の文脈を詳細に書かないと、この方の述べた言葉の真意がこのブログ上では正