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村上春樹と文学/小説・詩に関するmdoyのブックマーク (2)

  • 村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上) - 毎日jp(毎日新聞)

    カタルーニャ国際賞の授賞式で、スピーチする作家の村上春樹さん=スペインのバルセロナで2011年6月9日、ロイター 9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま) 「非現実的な夢想家として」 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に

  • Book3が出る前に『1Q84』を論じる(下) - 梶ピエールのブログ

    承前。ようやくおしまいです。ああすっきりした。 さて、以前このブログで、竹内好や魯迅といったアジアの思想家を引き合いに出しながら、村上春樹もまた彼らが抱えていたような「近代の二重性」の問題を彼なりのやり方で追及してきたのではないか、という問題提起をしたことがあった。 『1Q84』についてのこれまでの僕の読みがそれほど的外れでなければ、その村上の姿勢は現在に至るまで変わっていない。ただ、彼はそのような「近代の二重性」の問題を追及するのに、もはや、(異界・冥界的なものを含む)空間的な「外部」を想定すること―その行きつく先が『ねじまき鳥クロニクル』であった―を放棄したのだと思う。すでに述べたように、青豆は鼠や『世界の終り・・』の「影」の系譜に連なるキャラクターだが、彼女はもはや彼らのように「この世界」の外側に物理的に脱出することを望んだりはしない。その代わりに、いわば系譜学的思考により「この世界

    Book3が出る前に『1Q84』を論じる(下) - 梶ピエールのブログ
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