長野県安曇野市穂高の市街地に立つ見張り小屋付きの火の見やぐらが、1956(昭和31)年に始まった関西電力黒部ダム(富山県)建設時に大町市の骨材採取場にあった監視塔を移設したものであることが、安曇野市の建築士の調べで有力になった。黒部ダムの資材置き場から移した―との話は以前からあったが、関電の記録写真に写る監視塔と特徴が一致。関係者は、戦後の国家的プロジェクトの遺産として保存を求めている。 踊り場に小屋が付いた珍しい火の見やぐらは、市消防団第9分団第3部の詰め所の隣にある。木造を更新して建設した。詰め所には当時の写真があり、「昭和42年2月12日」の日付が添えられている。 各地の火の見やぐらを見て回り、特徴を記録している同市穂高有明の建築士、高松伸幸さん(45)が、昨年調べ始めた。3月に大町市であった黒部ダム建設工事関連の写真展会場を訪ね、主催者に穂高の火の見やぐらの話をした。それを伝え
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