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2007年4月11日のブックマーク (4件)

  • 真髄を語る:ソフトウエア開発の基本は不変

    ソフトウエア開発の経験が全くない素人集団を率いて、100%外注に頼っていた、基幹業務を支えるソフトウエアを内製に切り替えるプロジェクトに取り組んだ。よいと言われる方法は色々試したが結局は「作業日報」を使う原始的なやり方が一番効果的であった。ソフトウエアの世界は日進月歩であるが、事業の根幹を支えるソフトウエアをきちんと作るには、オーソドックスに開発実績をきちんと把握することが基である。内製化プロジェクトを通じて編み出したソフトウエア開発のポイントをまとめてみた。 ソフトウエアの特質およびソフトウエア開発に求められる要件についてポイントを整理してみた。いずれも、かつて筆者がゼロからソフトウエア開発に取り組んだ結果、得たものである。まずOS(基ソフトウエア)といわれる「システムソフトウエア」と、直接顧客が利用する「アプリケーション(応用)ソフトウエア」に大別し、その要件をまとめておく。 シス

    真髄を語る:ソフトウエア開発の基本は不変
  • 真髄を語る:重要なソフトは外注せず自分で作る

    ソフトウエア開発の経験が全くない素人集団を率いて、100%外注に頼っていた、基幹業務を支えるソフトウエアを内製に切り替えるプロジェクトに取り組んだ。この時の経験から言うと、ゼロからのスタートであっても、5年間真剣に取り組めば、ソフトウエアを自社内で開発・維持する体制を構築できる。現在、業そのものを支えるソフトウエアに関してまで安易な外注が進んでいる。基幹部分は他人任せにせず、当事者が自らの手で内製できる力を持つべきである。 「交換機を作っているコンピュータ・メーカーに、交換機のソフトウエアを自分たちの手で作りたいと言ったら、『我々が手を引いたらNTTなんて成り立ちませんよ。お分かりなんですか』と脅されたよ。頭に来たな。石井君、どう思う。今のままでいいのか」 日電信電話公社の真藤恒総裁は初対面の私にこうまくし立てた。電電公社が民営化され、NTTになる直前のことである。大阪の現場にいた私は

    真髄を語る:重要なソフトは外注せず自分で作る
  • 日本のソフトウエア産業、衰退の真因

    ソフトウエア・エンジニアリングのリーダーの一人、エド・ヨードンは1992年に、『Decline and Fall of the American Programmer 』を著し、米国のソフトウエア産業の衰退と挫折を警告した。このを出す少し前まで、彼は「この国が危ない(A Nation at Risk)」というタイトルで講演行脚をしており、同書はそれをまとめたものである。 このの中で、ヨードンは日をソフトウエア開発における優等生の一人として挙げ、インドの飛躍を予見している。が書かれた時点では、インドのIT産業はまだ黎明(れいめい)期にあったが、彼の予想通り、現在は英語圏で質の高いソフトウエア開発力が得られる国として、欧米から頼られる存在になり、IT立国を目指す他のアジア諸国からお手と見なされるまでになった。 「この国が危ない」というヨードンの警告に触発されたのか、米国上院の「米国の

    日本のソフトウエア産業、衰退の真因
  • ソフトウエアに役立つ「日本型ハードウエア生産法」

    2007年3月29日付の日経済新聞朝刊一面に、「自動車制御 トヨタが標準ソフト」という大きな記事が載った。この記事の内容とは直接関係ないが、「トヨタのものづくり力とソフトウエア」は考えるに値するテーマである。そこで2004年11月に出版された日経ビズテック第4号から、『ソフトウエア工学で注目集める「日型ハードウエア生産法」』という記事を再掲する。 この記事は、当時神戸大学の教授であった林晋氏(現・京都大学大学院文学研究科教授)への取材に基づき、筆者が書いたものである。林教授はその後も同じテーマについて考察を重ねており、現在は稿より進んだところにいる。ただし「真髄を語る」欄の主旨は、読者の皆様が考えるための素材を提供することにあるので、あえて2年以上も前の論考を紹介する。まず雑誌掲載時の概要文、続いて文を再掲する。(谷島宣之=「経営とIT」サイト編集長) 「日人は論理的・合理的な思

    ソフトウエアに役立つ「日本型ハードウエア生産法」