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ブックマーク / www.nippon.com (3)

  • 小松左京の大ベストセラー『日本沈没』から50年:名作誕生の舞台裏

    破壊的な地殻変動によって日が滅亡していく在り様を描き、空前の大ベストセラーとなった小松左京による『日沈没』の刊行から今年で50年となる。ことに「第二次関東大震災」の描写は圧巻であり、いま読み返してみてもリアリティを失っていない。当時の担当編集者が、SF小説史上に刻む名作誕生の舞台裏を振り返る。 浜井 武 HAMAI Takeshi 光文社の元常務、編集者。1938年東京都出身。62年早稲田大学第一文学部卒業後、光文社に入社。編集者として、小松左京、森村誠一、赤川次郎、斎藤栄らを担当。光文社文庫編集長、取締役を経て2000年8月に常務取締役。05年8月退任。 最初のタイトルは『日沈没』ではなかった 「僕が小松さんの担当になったのは、小松さんが『日沈没』を書き始めて4、5年経った頃でした。企画段階から関わったわけではないので、担当としては3代目、小松さんの『日アパッチ族』がカッパ・ノ

    小松左京の大ベストセラー『日本沈没』から50年:名作誕生の舞台裏
    medihen
    medihen 2023/09/08
    光文社って、小松左京の第一長編『日本アパッチ族』を出したり、『日本沈没』が大当たりしたのに、小松も含め他に特にめぼしいSF系のヒットが無いのが不思議。祥伝社に移った人達もいるというのが関係するのだろうか
  • 本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上)

    人口2万5千人の留萌市から屋が消えたのは2010年12月。それから7カ月後、人口30万人以上でないと出店しないルールを持つ三省堂書店が出店した。それはどうしてだったのか。 4月だというのに、その日は雪がちらついた。地元の人は5月の連休が明けるまではスタッドレスタイヤを外さないという。ゆったりとした坂道を登りつめると、眼前に日海が広がる。北海道の西端にある留萌の海岸からは水平線の下へと沈むまん丸で真っ赤な夕陽を見ることができる。 留萌の坂道 美しい地名はルルモッペ(=潮の静かに入るところ)というアイヌの言葉に由来する。明治期ににしん漁により港町として留萌の地が拓けた。炭鉱業も栄え、1910年には留萌線が開通、続いて1932年には留萌港が竣工した。 昭和の頃、正月ともなると、新年を祝う人たちがこの坂道をぎっしりと埋め尽くしたものですよ。 タクシーの運転手が問わず語りに聞かせてくれた。通り

    本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上)
    medihen
    medihen 2021/06/01
    ついついネット書店で買ってしまう自分からすると、地元の人にとってのリアル書店とネット書店との関係が知りたい。
  • 本好きが暮らす西荻窪で生き残った最後の書店-東京「今野書店」

    コロナの時代、は人に求められている。書店の社長は、そのことを実感したという。小さな総合書店に選書力を加味したハイブリッドで活路を見出した、52年の物語。 あたたかにきらめく空間 緊急事態宣言が解除されるという日の午後。向かったのは、JR中央線の荻窪駅と吉祥寺駅の間、西荻窪駅界隈の商店街だ。小さな居酒屋やレストラン、バーが軒を連ねる。商店街といっても地域のバスが走り、街路灯に昭和の風情が残る。商店街の入り口、ビルの1階に今野書店の緑の看板が見えた。 華やかなファッション誌の表紙がずらりと並び、ときめきを誘う。右手には賞にノミネートされた文芸作品を始め、話題のが積み上がる。新しい独特の匂いを漂わせている。 オレンジ色の照明、低い音で流れるジャズ、音が響かないカーペットの床。アクリルや白の展示棚はあたたかな空間に透明な輝きを加えている。 あちこちの棚の前で客がを読みふけり、レジ前にはソ

    本好きが暮らす西荻窪で生き残った最後の書店-東京「今野書店」
    medihen
    medihen 2020/06/30
    ずっと新刊書店が5店はあったのに、今は一店だけとは信じられない。
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