米軍の1980年普天間飛行場マスタープランで、66年の名護市辺野古の海兵隊基地建設計画を紹介し「建設費が高く実現できない」と記している箇所 1966年に存在した名護市辺野古の米海兵隊飛行場建設計画が、80年に米軍が作成した資料でも登場し、「高い建設費のため、実現できない」と明記されていることが10日までに分かった。米軍が60年代から描いて費用面で断念していた辺野古基地建設計画は、日本政府の出資を当てに現在の新基地建設計画として復活したことになる。今月12日で、96年の普天間飛行場全面返還合意から25年が経過するが、辺野古新基地完成を条件にしているため実現していない。 66年に策定された計画を見送った背景には、ベトナム戦争に伴う米国の財政赤字があることが指摘されてきた。80年資料の表記は費用を理由にしており、合致する。建築家の真喜志好一氏が独自に入手し、本紙に提供した。 80年の米軍資料は普
English version here 『ハクソー・リッジ』の舞台が分からないというあなたへ 2017年6月24日公開となる『ハクソー・リッジ(原題:HACKSAW RIDGE)』(メル・ギブソン監督作品)は、沖縄戦に従軍した実在の衛生兵デズモンド・ドスを主人公とする実話をベースとした作品です。 太平洋戦争終結から70年以上も経過すると、現場の様子も景色も変わり、そして人の記憶も薄れていきます。平和の大切さを語り伝えることは現代を生きる私たちにとってとても大切なことですが、都市化の波には抵抗しがたく、当時の面影を探すのは難しいところです。しかし、本作品を通じて今一度、あの悲惨な戦争を思い出し、平和を希求する自らの心に動かされ、沖縄観光で足を訪れた際に、この『ハクソー・リッジ』のクライマックスとなる「前田高地」を訪れる人、あるいは訪れたいという人も増えてきました。ここでは、映画を体感するた
前田高地に立つ元米陸軍衛生兵のデズモンド・ドスさん=1995年6月25日、浦添市(當義弘さん提供) 日本各地で24日から上映されている映画「ハクソー・リッジ」の主人公として描かれ、沖縄戦で武器を持たずに負傷兵75人を救出した衛生兵デズモンド・ドスさん(2006年死去)が1995年6月に沖縄を訪れた際、琉球新報の取材に応じていた。浦添市前田高地の戦闘で負傷したドスさんは戦後5年半、陸軍病院で入院生活を送り、戦時中の夢を見続けるなど、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような症状に苦しんだことを明かした。「悪夢を見続けてきたが、今はもう見ない。自身の体験を語ることで克服することができた」と話していた。 ドスさんは取材時の95年は76歳だった。戦後に沖縄を訪れたのは69年に次いで2度目で、米陸軍の戦後50年記念行事などに参加するため、6月18日から28日まで11日間滞在した。 ドスさんは1945
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