慎重であり続けること、失敗をしないこと。果たしてこれは美徳だろうか。子々孫々にまで継承していきたい尊い信条だろうか。キョウカイジャーの周辺にも悪い言い伝えがある。それは「決断をしない牧師は任期が長い」。つまり、変化を嫌う教会に寄り添い続ける牧師は、教会にとっても都合がよいということだ。今、ここにある教会と自分たちにとっての都合だ。 子どもの集まる場所にしたいと願いながら、ちいさい人たちを迎え入れるためのホスピタリティが高まるような環境整備をするでもなく、事業を興すわけでもない。多様な人が来てほしいと願いながら、自分に理解できない人はお断り。今、ここに集うメンバーの想像の範囲内だけで判断し続けていくことに不自由を感じない状況がある。 先日、教会のトイレのリフォームを行った時のことだ。いくつもの盛り込みたい提案があった。しかし、たった一つだけ、私にはどうしても設置したい設備があった。人工肛門(