信仰義認と行為義認という対比は、特にプロテスタント教会において信仰生活の最初に学ぶことである。時に、あまりにも自明視されるため、「では、信仰義認とはなんですか?」と問われた時に、牧師であれ信徒であれ、今さら正確に答えることが難しいほどである。 著者ヴェロニカ・コペルスキはカトリックのシスターでもある。その彼女がルター派プロテスタントの新約聖書学者ルドルフ・ブルトマンの信仰義認論をみる時、それはもはやルター派の神学なのであって、パウロ神学において自明でもなければ普遍でもない。ルターからブルトマンに至る行為義認と信仰義認との対比において、パウロ以前のユダヤ人は律法を守ることで高慢になっており、それに対してパウロは神からの(一方的な)賜物としての義を語ったのだと理解されてきた。けれどもフィリピの信徒への手紙(2:12)にあるように「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」と、パウロ