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考察に関するmegamaniのブックマーク (14)

  • 建築エコノミスト 森山高至『カイジの鉄骨渡りに関する建築的考察1』

    建築エコノミスト 森山高至「土建国防論Blog」Powered by Ameba マンガ建築考の森山高至が「たてものと生活と社会と文化」を考えています。 twitter始めました。https://twitter.com/mori_arch_econo 連絡先は moriarchecono@gmail.com 建築エコノミストTwitter mori_arch_econo カイジというマンガがあります。 作者は福伸行、元々麻雀マンガの世界でデビューした人ですが、 麻雀といういわばゲーム、しかも賭博、登場人物も数人で、 背景はだいたい雀荘という密室を舞台にした設定、 にもかかわらず圧倒的なその心理描写と、 あっと驚く展開で読者の度肝を抜き、架空の物語なのに手に汗握らせ、 恐るべき筆力でつむぎ出すその世界観と哲学に、 生死を賭けた強い描写が不可思議な感動を生み出す天才です。 その福氏のいわば

    建築エコノミスト 森山高至『カイジの鉄骨渡りに関する建築的考察1』
  • Amor Rosa : 2012年とマヤ暦

  • 長く遊べるゲームの工夫とは - 最終防衛ライン3

    はじめに 昨今は、長くじっくり遊べるゲームが求められているようで、RPGなどはクリア後にも最強武器の入手や、裏ボスを倒したりと、やれることが多い。長く遊べるゲームが増えたのは、プレイヤにとってはお金を出してゲームを買うのだから一で長く遊べた方がお得で、メーカーとしても長く遊べるゲームを作った方が中古に流れるソフトが減るし、作り手としても愛着を持って欲しいなどの理由からだろうか。個人的には、20時間位でクリアできるゲームが一番丁度良いですけども。メーカーとしては、たくさんゲームを買ってほしいので、短く遊べるゲームを出したいが、すると中古に流れてしまうという二律背反です。 長く遊べるゲームが求められているわけだが、長く遊べるゲームとはどんなゲームだろうか。また、長く遊べるゲームにはどのような工夫がなされているのだろうか。稿では長く遊べるゲームについて語って生きたい。 ここで語るゲームとは、

    長く遊べるゲームの工夫とは - 最終防衛ライン3
  • ◆サンタさんがこない◆

    [0]春奈 05/12/04 13:49 *ED1cH7C..V6*D-yXkl9『サンタさんがこない』 ある昼下がり。 小鳥のさえずる森の中を、一人の少女が走っていた。 「お母さん!どこにいるの?」 叫ぶ少女。だが答えは無い。 そのうち少女は、とある家の前に辿り着いた。 「ここね!ここにいるのね!」 そう言って少女は扉を開けた。 だがそこにあったのは、たった一つの日記帳。 何も無い家の中心にポツリと置かれている。 少女はそっと手に取り、読み始めた。 5月16日 明日は楽しい楽しいクリスマス。 プレゼントがいっぱい。とっても楽しみ。 5月17日 サンタさんがこない。 サンタさんがこない。 サンタさんがこない。 5月18日 昨日はとっても楽しかった。 サンタさんにいっぱいプレゼントもらっちゃった。 でもおかしいなぁ。そのプレゼントどこに置いたんだろう? 9月33日 時計の針がね、ゆっくりゆっ

  • crossbreed.jp

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  • 第5回 ライアーゲームっていうのは、要するに協力ゲームなのだ | WIRED VISION

    第5回 ライアーゲームっていうのは、要するに協力ゲームなのだ 2007年6月19日 経済・ビジネスカルチャー コメント: トラックバック (0) この連載では、ここ2回、ケインズ理論について思いっきり書いた。いわば、ストライクゾーンめがけて全力で直球を投げたようなもの。ぼく自身はとても気持ち良いのだが、読者の皆さんはそろそろ読み疲れしてるんじゃないか、という危惧がある。だから、ここらで1〜2球、緩いボール球を投げておいたほうが無難じゃないかなと考えた。(もっとケインズ読みたいぜ、っていう酔狂な人もいるだろうけど、そういう人は近いうちまたケインズの話で三振を取りに行くので待ってて欲しい)。 そんなわけで、今回はうってかわって、テレビドラマの話。 今期のドラマの中で出色だったのは、「ライアーゲーム」である。土曜の深夜枠でありながら、高視聴率を取り、最終回は3時間スペシャルが組まれているそうだ。

  • コースの定理と経済学のクールさ  | WIRED VISION

    コースの定理と経済学のクールさ  2007年10月 9日 経済・ビジネス コメント: トラックバック (1) (これまでの 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」は こちら) 前回は、ノーベル賞に輝いた「コースの定理」を紹介し、最初にこの定理を知ったときのぼくの憤り、というか戸惑い、というか、それを述べた。今回はその続きである。 CreativeCommons Attribution License, Patrick Doheny 念のため、「コースの定理」をもう一度確認しよう。 この定理は、経済主体Aの生産活動が公害を発生させ、経済主体Bに市場取引を通じない損害を与えているとき、AとBを合わせた意味での「社会」における最適な生産量をAに選択させるために、どんな交渉方法があるかを分析したものだ。意外なことだが、Bの被る損害をAがBに賠償しながら生産しても、Aの生産縮小による損失をAがBから補

  • コースの定理は、非人間的か? | WIRED VISION

    コースの定理は、非人間的か? 2007年10月 4日 経済・ビジネス コメント: トラックバック (0) 環境問題を扱う経済理論の中でとりわけ有名なものに、「コースの定理」というのがある。これは、イギリス生まれの経済学者ロナルド・コースの発見したもので、コースはこれらの業績によって1991年にノーベル経済学賞を受賞している。 「コースの定理」を、そのポイントだけ大胆にまとめると、次のようになる。 今、経済主体Aの生産活動が、公害などの発生で、経済主体Bに(市場を経由しない)損害を与えるとしよう。このとき、Aが利己的に利潤最大化を達成することは、社会全体で見れば最適なことではない。Aが、自分の生産にあたって、Bに与える損害を考慮しないからである。では、このとき、Aに「社会的に見て最適の量」を生産させるにはどうしたらいいのだろうか。「コースの定理」は、以下の真反対に見える2つの方法が、結局のと

  • 講義「なぜ帰宅後すぐ手を洗うのか-文化人類学の効用」

    文化人類学を学ぶことは何の役に立つのか、という質問を受けることがあります。最近では、学生からだけではなく、社会からそのように聞かれたらすぐに答えられるような講義が望ましいといった、くだらないことを大学内で言う人もいます(実際に「社会」がそんなことを大学教員に聞くなんてことはないのですが)。そのような質問への答えは、役に立つというのがどういう意味で聞いているのかにもよりますが、まあ、ふつうこういった質問は、直接に何かすぐに役にたつ(「お金になる」とか「就職が有利になる」とか「もてる」とか)ということを想定しているのでしょうから、その答えは何の役にもたたないということになるでしょう。けれども、あえていえば、文化人類学は、すぐに役にたつか立たないかという基準で生きていくような生き方とは違った生き方を想像するうえで、とても役に立つ学問だともいえるでしょう。というのも、文化人類学は、ひとつの社会での

  • 「幻の原稿」編|教授からのメッセージ|高等研究院 制がんストラテジー研究室|国立大学法人 東京医科歯科大学

    「幻の原稿」 始 末 この原稿は、もともとY社の「実○医学」に全10回という長期連載シリーズ『Q&Aで答える 基礎研究のススメ』のために、このHPにある「教授からのメッセージ」を大幅に加筆修正したものです。昨年の夏休みの大部分と、その後のちょっとした時間に少しずつ書きため、ゲラ校正も終わってやっと発刊、というときにボツになった「幻の原稿」です。 ボツになった理由は、「内容が過激だから」です(笑)。実はわれながら、こんな文章を当に「実○医学」が出す勇気があるのだろうかとずっと疑っていました。また評価も完全に二分されるだろうと思いました。自分では正論と思っていますし、それを読み取って理解して下さる方も多いでしょう。しかし表面上の逆説的表現に神経を逆なでされる方もいるのではないかと私自身が危惧していました。 3、4回の推敲によって大幅に表現をマイルドにして何とか掲載に漕ぎ着けようとしたのですが

  • 認知過程における《客体化》

    認知過程における《客体化》 人間による認知過程は、外界からの知覚情報が脳の各部位でさまざまな処理 を受けることによって成立している。このため、たとえ正常な意識の下で直感 的な知覚に即した対象認識を行ったとしても、外界の状態がそのまま模写され ている訳ではなく、言わば認知のフィルターを通して変形された像となってい る。仮に、高速フーリエ変換を行うコンピューターとして作動する脳を想定す れば、その意識内部において目の前にありありと小石が見えたとしても、現実 に“存在する”のはその運動量の方なのであって、座標空間の中に定位されて いる姿は、実は、フーリエ変換を通して見た“虚像”にすぎない。素朴な(だ が、必ずしも正鵠を射ていない)理解に従えば、こうした《認知のフィルター》 の介入が、いわゆる《物自体》の認識を不可能にしていると言えよう。 しかし、当然のことながら、認知過程における変形によって

  • 麻雀宇宙論 - 内田樹の研究室

    対談と宴会の日々。 水曜が釈老師との「ジッポウ対談」。 これは願寺系の宗教教養誌。プロデュースは当然 ”魔性の女“ フジモトである。 北野の老香港酒家にて、美味しい中華をいただきながら、日人の霊性についてディープな対話。 発作的に「日人の宗教は柳田国男の指摘するとおり、『先祖教』であるが、これがホロコーストの死者たちが『存在するとは別の仕方で』生者たちの規矩として機能するユダヤ人の宗教性と親和するのではないか」という変痴奇論を思いつき、暴走。 釈老師は私のどのような暴走的思弁にも、あの温和かつ思慮深い笑顔で応じてくださるので、暴走が止らない。 ちょうど『文藝春秋』から「日人とユダヤ人」というお題での寄稿を依頼されており、その締め切りが日曜なので、これをそのまま使いまわしすることにする。 木曜は授業を2コやった後、京都へ。 東寺の境内で新作能『一石仙人』を拝見する。 秋の夕方はけっこ

  • 4Gamer.net — [OGC2008#03]「2ちゃんねる」と「ニコニコ動画」のひろゆき氏が語る,ゲーム・コミュニティ・文化(シヴィライゼーション4【完全日本語版】)

    [OGC2008#03]「2ちゃんねる」と「ニコニコ動画」のひろゆき氏が語る,ゲーム・コミュニティ・文化 編集部:Guevarista 「2ちゃんねる」の管理人にして,ニワンゴの設立メンバーでもある,ひろゆき氏 「2ちゃんねる」の管理人ひろゆき氏といえば,ここでくどくどと説明を並べ立てるまでもない有名人だろう。彼は「ニコニコ動画」のサービスを提供するニワンゴの,設立メンバーの一人であり,サービス運営に独自の役割を果たしている。 そんな関係もあって,OGC 2008にはなんと,彼が登壇するセッションが設けられている。第8講「コミュニティが生み出す想像事例と,CGMの可能性」と題したフリートークセッションがそれで,話題の中心となるのはおそらく,ニコニコ動画のサービスとアップロード作品,そして「ニコニコ映画祭」の応募作品といったことになるだろう。 このセッション自体,ある意味たいへん時宜を得たも

    4Gamer.net — [OGC2008#03]「2ちゃんねる」と「ニコニコ動画」のひろゆき氏が語る,ゲーム・コミュニティ・文化(シヴィライゼーション4【完全日本語版】)
  • ネトゲのキャラクターは死ぬべきである - へだちの日記

    ネトゲのキャラクターは死ぬべきである。でないと、時間をかけたプレイヤーほどレベルが上がって有利になるので、そのゲームばっかりやってる廃人の溜まり場になってしまう。たぶん、ポケモンとかダビスタみたいに「主人公ではないキャラクターを育てる」ようにして、そいつに寿命があるネトゲを作るのが一番いいと思う。できれば、ダビスタのように成長期があって、ピークがあって、そこからだんだん衰えて死んでいくことが望ましい。生物ってそういうものだし、育成ゲームは生き物を育てる楽しさをシミュレートしたものだから。 育てたキャラクターが死んでしまっても、プレイヤーはキャラクターの育て方を学んでいくことができるので、何も残らないわけじゃない。つまり経験値がプレイヤーに残る「不思議のダンジョン方式」だ。とはいえ、当にゲーム上に何も残らないのもちょっと悲しいので、ダビスタみたいに「殿堂入り」の馬の記録を残すとか、レース

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