A案、可決。「感じない男」の森岡さんが「それを言っちゃあ、おしまいよ」のことを書かれていたようだ。 臓器提供を待ち望む親がその子どもの臓器を提供する意思はあるか、との問いかけで、 それは、子どもの臓器提供を迫られている親が、もし臓器提供を受ければその子どもが「脳死」とされた状態が「直る」としたら、どうするか、と 突きつけられているのと同じことだ、でも、私の答えは決まっている、当然、「私の子どもには臓器をください」である。 この身勝手さこそが「こども」の「親」であるという現実だ。矛盾と絶望の中に突き落とされる親が確実に存在することを私は哀しいと思う。 私自身は臓器提供の意思カードを持っているが、考えたくもないが子どもの臓器提供に対してはもう「当然」と言っていいほど「否定」の立場をとる。 例え、子どもに提供の「意思」があったとしても、私はそれを容認することは出来ない、 万分、億分の一でも、ひょ